箱根駅伝で「男だろ!」の声かけに違和感。駒澤大時代を山下一貴が振り返る「2年時は抜かれすぎて何も感じなくなった」 (3ページ目)
抜かれすぎて何も感じなくなった
最終的に山下は、2年時は、2本の駅伝、3年時も2本、4年時には3本の駅伝を走り、全日本はすべて8区、箱根はすべて2区というロング区間のスペシャリストとして駅伝を駆けた。7本の駅伝のうち、一番、印象に残っているのは、どのレースだったのだろうか。
「2年の時の箱根駅伝ですね。相澤(晃・東洋大)や森田(歩希・青学大)さん鈴木(健吾・神大)さんとか、すごいメンバーが揃っていたんですが、彼らとの力の差をまざまざと見せつけられました。最初、6人ぐらいに抜かれた時は、もっと頑張らないとヤバいなって思っていたんですけど、途中からあまりにも抜かれすぎて何も感じなくなったんです。最終的に10人以上に抜かれたんですけど、駅伝であそこまで抜かれたのは初めてでした。自分の力のなさを感じましたし、シードを落としてしまい、卒業する先輩にすごく申し訳ない気持ちになったので、あれは忘れられないですね」
大八木監督は、長い距離を淡々と走れる山下の個性を活かして全日本8区、箱根2区に置き続けた。卒業してわずか2年でマラソンでのトップランナーの仲間入りをしたのは、そのベースとなる練習が駒澤大でできていたからだと山下は言う。
「大八木監督(の練習)は、まず距離を走って後半にスピードを入れていくんですが、基本は距離を踏むことなんですよ。今の駒澤の練習は田澤(廉)がいるので、速さで叩いていく練習ができていると思うけど、当時は距離で叩くチームで、多い時で月間1100キロぐらい走っていました。そういう練習が自分にはすごく合っていたと思います」
ハードな練習をこなした上で、箱根駅伝を走ったことは今の山下の競技人生に、どんな影響を及ぼしているのだろうか。
「箱根駅伝は、20キロ以上の長い距離の駅伝じゃないですか。そのために練習をしていたから今、マラソンを走れているのかなと思いますし、今の自分につながっていると思います。もし、出雲ぐらいの短い距離の駅伝だったら今はまだ活躍できていなかったと思います。そういう意味では箱根の存在も箱根を走れたことも自分にとってはすごく大きかったですね」
実業団に入り、レースや駅伝に参加していると、改めて箱根駅伝のスケールの大きさや沿道のファンの多さ、注目度の違いを感じた。
「箱根は、やっぱり、レースの規模や熱さが違います。実業団ですと、毎年レースがあるし、駅伝もあるので、何度でもやり直しがきくんです。でも、箱根は大学4年間でしか経験できない。その短い間のなかでいかに結果を出していくのか。限られた時間のなかだからこそドラマが生まれてくれると思いますし、実業団とは注目度も違うので、今も走れるなら走りたいですね(笑)」
山下が今、五輪を目指しているのは、世界レベルでレースを戦うことの面白さに加え、ランナーとして箱根の時のように熱く、注目される舞台で走れる楽しさを味わいたいからでもある。
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