箱根駅伝優勝から3年でシード落ちの東海大。強化方針の転換に「対応できない上級生と対応している下級生で差が出てしまった」 (2ページ目)
今シーズンの東海大は、黄金世代や3本柱と言われた強力な世代が抜け、戦力ダウンは否めない状況だった。それでもトラックシーズン、市村が好調を維持し、エースの石原も関東インカレ1万mで2位になるなど個では好調だった。
最初の誤算は、ルーキーたちの出遅れだった。優秀な選手が入学してきたが、故障している選手が多く、チーム練習に参加することができずにいた。
また、チーム戦力を向上させるためには、3、4年生ら中間層の底上げが急務だったが、なかなか思うように進まなかった。
その要因のひとつに、チームスタイルの変化が挙げられる。
これまで東海大といえば「スピード」だった。スピードを強化することでロングにもその力を活かして、結果を出してきた。だが、スピード強化を図り、20キロにも対応するチームの強化方針は黄金世代や3本柱らタレント揃いの世代がいたからこそのもので、彼らが卒業していった今シーズン、強くするためには距離型に転換していかざるをえなくなった。
ここで歪みが生じた。
「スピード強化をして、勝てていたのはタレント揃いのところが正直ありました。ただ、それは長続きしないだろうなっていうのは思っていました。強化という点で、東海はこうだっていうのを作っていかないといけないので、スピードから距離を踏む方向に取り組みを変えてきたのですが、それに対応できない上級生と対応している下級生でちょっと差が出てしまった。その取り組みが箱根に向けて定着できなかったことが大きかったと思います」
本間敬大キャプテンら今の4年生は、黄金世代と3本柱が融合し、初優勝した姿を見てきた世代だ。先輩たちが強くなっていくプロセスを理解し、だからこそ自分たちもという思いが強かった。それゆえ、上の世代との力の差を感じながらもチームの方向転換になかなか納得できなかったのだろう。スピードを主体にしてチーム作りをしてきたにもかかわらず、それを放棄するのは、それまでの先輩や彼らがやってきた取り組みを否定することにもなりかねないからだ。
駅伝にフォーカスすれば、大エース石原の戦線離脱が非常に大きかった。それは、他校でいえば駒澤大の田澤廉(3年)や青学大の近藤幸太郎(3年)が抜けるようなもので、チームの軸を失ったことで駅伝戦略について大幅な見直しを余儀なくされた。
「全学年を通して石原頼みみたいなところがあって、彼が戻ってこられない時にチームとして、どう戦うんだろうかっていうムードが出てしまった。エースがいなくて、松崎がその役を担ったわけですが、その負担が大きかったですね」(両角監督)
もし、石原が2区にいれば......1区の市村が好走しただけに違う展開になっていたはずだ。それだけエースの存在は大きいということだが、個々の選手に目を配れば、光明もあった。
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