箱根駅伝4区で途中棄権の翌年から劇的な2連覇。神奈川大・大後監督が語る、強いチームに必要なこと

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 産経新聞社

今年の箱根駅伝往路。襷をつなぐ神奈川大・川口慧(右。現・副将)と西方大珠(左。現・主将)今年の箱根駅伝往路。襷をつなぐ神奈川大・川口慧(右。現・副将)と西方大珠(左。現・主将)この記事に関連する写真を見る 来年1月2、3日の箱根駅伝に臨む神奈川大学駅伝部。

 今年のスローガンは、「Hungry × Hungry~加速する神大~」である。

 独特で、個性的なスローガンだが、その意図について大後栄治監督は、こう語る。

「学生たちが、とにかくハングリーに上位を目指し、追いかけて進もうということです。箱根について言うと、シード権をとることは簡単ではないですけど、ネガティブ思考で本番を迎えるのか、失うものは何もないという気持ちで積極果敢にチャレンジしていくのか。これは前者だと全く面白くない。精一杯やったうえでの成績は受け止めるしかないですが、やる前から諦めムードでは出場する意味もない。スローガンどおり貪欲にいこうということです」

 大後監督の言葉から10位以内、シード権獲得への並々ならぬ決意が感じられる。

 神大は、ここ3年間、箱根駅伝では、16位(2019年)、16位(2020年)、13位(2021年)と苦戦を強いられているが、過去には優勝経験もある実力校だ。神大が、初めて箱根駅伝で優勝したのは、1997年の第73回大会である。創部65年目、そして大後監督が監督に就任して8年目での快挙だったが、すんなりと優勝できたわけではない。初優勝をする前年の箱根でチームは4区で途中棄権をしていた。

「私が監督に就任して3年後に、18年ぶりに箱根に復活できて、その年は15校中14位。でも、翌年の箱根から8位、7位、6位と年々順位を上げていきました。普通、優勝するには5位とか3位前後で数年、足踏みするんですよ。でも、途中棄権が私たちにとって最高の教科書になりました。一気にジャンプアップして、翌年に初優勝することができたんです」

 途中棄権した翌年での初優勝は、まるで映画やドラマのように劇的だ。その教訓を大後監督と選手は、どのように生かしたのだろうか。

「具体的には、自分のコンディションが常によいか、悪いか、白黒ハッキリつけて過ごすということです。なんとかなるだろう、よくなるだろうという希望的観測は最終的に最悪な状況につながる。実際、途中棄権をした選手は、前兆はあったけど、走りたい気持ちが勝って棄権という結果になった。競技スポーツの勝負の世界では優柔不断な判断は通用しないということを選手が学び、チーム全体で共有できたことが大きかったです」

 神大は、初優勝した翌年も箱根を制し2連覇を達成した。

 しかし、その後はシード権の確保も難しくなり、2010年86回大会では予選会16位に終わり、本戦出場を果たせずに終わった。だが、鈴木健吾、山藤篤司らを擁した2017年大会では総合5位に入り、12年ぶりにシード権を獲得。練習では全体主義を排除し、また自らの成功体験や経験からのこだわりも捨てた。マラソンで日本記録を持つ鈴木を育てたが、その成功事例ですら単なる一例にすぎず、ひとつの成功事例が全ての選手に当てはまるものではないという考えがあるからだ。大後監督は、選手個々に目を配り、練習を考える「個別オーダー」というやり方でチーム作りを進めてきた。

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