「歯科医か、ハードルか」110mH日本新の金井大旺が明かす進路選択 (4ページ目)
【大学の進学先をめぐる苦悩】
── 満を持して臨んだ高校3年時のインターハイ。「現実」に直面し、大学進学を巡る決断が揺らぐ。
金井:小学生の時から、全国大会で1回も優勝したことがなかったんです。それもあって、高校こそ全国で勝ちたい思いがありました。高2の日本ユース大会で2位になった際、トップとの差は0.04秒。それで火がつきましたね。高校3年のインターハイに向けて、この0.04秒を超えるために、中学生の時に買った専門書のほかにも本を読んだり、トップ選手の動画をYouTubeで見たりしながら、練習に打ち込んでいました。なかでも矢澤航さん(当時法政大/現デサント)の走りは参考にしました。フォームがカッコよくて、何より、ハードリングが美しかった。
どうしたらあんなふうに走れるのかと、ラ・サールの先輩に取り次いでもらって、当時、矢澤さんが所属していた法政大学に出向きました。そこで指導してもらった内容を、函館に帰ってから繰り返し練習しましたね。
それでも、最後のインターハイで勝てなかった。結果は5位。しかも優勝したのは高校2年生の選手でした。それまでは全国でトップになってから歯科医への道に進もうという思いがあったのですが、叶わなかった。高校3年の8、9月は、進路をどうするかものすごく悩みました。
歯科大に行っても、陸上をやろうと思えばできる。でも、その環境でやっても限界があると思いました。インターハイで負けた悔しさを晴らすには、陸上に特化するしかないんじゃないかと。法政でトレーニングをした時に、苅部(俊二)監督(元400mハードル日本記録保持者)から、ハードリングのイメージを難しい表現ではなく簡単な言葉で教えていただきました。それが自分の中にスッと入ってきた感覚があった。ならば、苅部監督がいる法政がいいんじゃないかと。最後は自分で決断しました。
【大学での成長と東京五輪】
── 大学では、現役時代そのストイックさゆえに他の追随を許さなかった苅部監督に師事。2016年リオ・デ・ジャネイロ五輪に出場した矢澤選手とともにトレーニングに励み、その背中を追い続けた。怪我に苛(さいな)まれることもあったが、記録を伸ばした。インターハイの雪辱を果たすかのように、大学3年時に全日本インカレで優勝。矢澤選手から、「いつか、かわいい後輩(金井)と日本選手権のワン・ツーをとれたら」と言わしめるまでになった。
金井:大学時代は陸上中心の生活でした。そこでいちばん学んだことは、陸上、もっと言えばハードルの競技性ですね。ハードルって、一連動作なんです。踏み切り・空中・着地を一連の動きとしてとらえる必要がある。例えば、着地を改善したことで次の動作に遅れが出てしまえば、タイムは縮まらない。部分部分に注目しすぎて頭でっかちになると、結局マイナス面が上回ることが往々にしてあるんです。
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