松田瑞生の好記録が、日本女子マラソンが再び隆盛する契機になる (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Naoki Morita/AFLO SPORT

 日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは「今回は、日本記録を出すくらいの力がなければ勝ち切れなかったと思う。(名古屋ウィメンズマラソンでは)2時間20分台の力を持っている選手でないと、この記録は抜けないと思う」と評価する。

 まだ確定はしていないが、東京五輪へ向けて松田はこう語る。

「暑さには強いので不安はないですが、今のタイムでは、世界のトップは遠いと思う。日本新記録を出さないと世界のトップレベルとは戦えないかなと思っているので、今のままでは終わりたくない。今回の結果は19分台や日本記録を目指して走ったからこその結果だと思います。だから今より上の舞台を目指して走れば、今回よりもっといい記録が出るのではないかと思うので、目標をさらに上に定めたいと思います」

 MGCは「勝利を狙うレース」だったが、今回は「記録を狙うレース」。今回、松田が日本記録をターゲットにして走った意味は大きい。2008年北京五輪以降の日本女子マラソンの低迷は、そんな選手が出現してこなかったことに原因があるからだ。

 日本の女子マラソンのレベルが、まだ2時間25分台終盤から26分台だった98年、高橋尚子が気温30度前後のアジア大会で、当時の世界歴代2位の2時間21分47秒を出した。この記録を受けてほかの選手たちの意識も変わり、00年シドニー五輪を狙う選手たちはこぞって「2時間20分を突破しなければ代表になれない」という危機感を持った。そして、最初から16分30秒台で突っ込むレースをするようになったことで、2時間22分56秒の弘山晴美でさえ代表になれないハイレベルの戦いが続いた。その結果、競争が激化したことで選手の強化が進み、その後の日本女子マラソンは隆盛を極めたのだ。

 00年のシドニー五輪では、高橋が2時間23分14秒の五輪記録で金メダルを獲得。その4年後のアテネ五輪では、野口みずきが優勝、土佐礼子が5位、坂本直子が7位と3人全員が入賞する快挙も果たした。

 今回の松田の記録は、奇しくも高橋がアジア大会で出したものと同じ。高橋の時と同じように、松田の走りが、あとに続く選手たちに日本記録に挑戦する勇気を芽生えさせる契機になったはずだ。

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