東洋大が異例のアメリカ合宿。駅伝3冠に向け「秘密兵器」を試用した

  • 酒井政人●文 text by Sakai Masato
  • photo by Nakanishi Yusuke/AFLO

 米国・オレゴンの深夜2時。静寂の中、足音と息づかいが響く。ランナーたちを案内するのはヘッドライトの明かりだけ。暗闇の中を東洋大学のランナーが駆け抜けていた。

今年の箱根駅伝で往路優勝を飾った東洋大今年の箱根駅伝で往路優勝を飾った東洋大 彼らが出場していたのは、日本時間の8月23・24日に行なわれた「HOOD to COAST」という駅伝型式の大会だ。地元では「クレイジー」と呼ばれているレースで、マウントフッドの麓から、シーサイドまでの約320kmを2日かけて走破する。

 往路・復路の10区間217.1kmで争われる箱根駅伝も壮大ではあるが、スケールではHOOD to COASTのほうが上だろう。1レグ(区間)は6~12kmほどで、12人が順番に3回ずつ出走。スタートからゴールまでぶっ続けで走り続けるのだ。

 東洋大チームは最終グループの14時にスタート。選手たちは2台のバンで移動しながらレースを進めた。一般道を走るため赤信号では止まり、車が渋滞で進まずに次走者が間に合わないこともある。日本の学生駅伝とはまったく違う環境に選手たちは戸惑っていた。そして、残すは最終レグというところで"事件"が起きた。

 空が白んできて「そろそろ」という時間になっても、小田太賀(2年)が来ない。到着予定時刻が5分、10分、15分と過ぎていく。何かトラブルが起きていることは明らかだった。祈るような気持ちで、チームメイトが待っていると、ようやく小田の姿が見えてきた。

「みんな待ってるんだ。全力で行け!」という酒井俊幸監督の声が背中を押した。小田は最後の力を振り絞って、アンカーの相澤晃(3年)にバンドを託すと、「すいません、すいません」と涙を流した。異国の地で、携帯電話もなく、人すらいない。うす暗い中をさまよった小田の気持ちを察すると、不安で仕方なかっただろう。

 小田は正規ルートを進んでいたが、本来なら開いているはずのゲートが閉まっていたため、別のルートを進んでコースアウト。40分近くタイムをロスすることになった。一歩間違えれば危ない状態だったかもしれない。

 それでも最後はアンカーの相澤が仲間とともにゴールに飛び込み、東洋大は優勝を果たした。フィニッシュしたのは朝の7時過ぎ。優勝セレモニーに参加してホテルに戻ると15時近くになっていた。

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