小池祐貴が自己流調整からの脱却で進化。短距離界の勢力図が激変する (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

 そして実績云々より、自分が信用できる人に見てもらうのが大事だという結論に辿り着き、相談したのが、慶大陸上部のアドバイザーという立場で時々練習を見に来ていた、セントラルスポーツの臼井淳一氏だった。

「小池の存在は、練習を見に行くようになって初めて知りました。彼は目標にしていたユニバーシアードに出られなかったことで、意気消沈して日本選手権も棄権して『これからどうしようか』というのを考えていたんです。それで6月に『どうトレーニングをしたらいいか』という相談をされて、自分の考えを言うと納得してくれたので、9月の日本インカレへ向けての練習スケジュールをメールでやりとりして、動画を送ってもらって気づいたところをチェックするような形で指導を始めました」

 こう話す臼井コーチは、走り幅跳び日本人2人目の8mジャンパーで、79年7月に8m10の日本記録を出して、92年5月に森長正樹(日大)が8m25を跳ぶまで、日本記録保持者に名前を連ねていた名選手だった。

 しかし小池は、そんな実績も知らずに指導を申し込んでいる。「自分の言ったことをしっかり否定してくれたり、肯定する時は気持ちよく肯定してくれたり。はっきりとしたコミュニケーションを取れるところが信用できました」と、人間性の部分で信頼したのだ。

「指導を受けるようになって一番変わったのは、分業できたということですね。ひとりでやっている時は自分の体の状態も見て、走りもビデオで確認して感覚とすり合わせるというのをやっていました。客観的な目で自分を見切れなくなると、どうしてもリスクの高い練習を優先してやるようになり、ケガもしていたんです。

 でも、大まかな方向を決めてもらうようになってからは、僕自身はどうすればいいのかという感覚だけに集中できている。以前は型をすごく気にしていたが、『型は人それぞれだから、感覚の方が大事だよ』というのを何回か言われて、そうだなと思ってからは練習のイメージも変わりました」

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