2018.03.07

実業団でも2時間6分台。大迫、
設楽悠ら「オレ流」と違うMHPS流

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

MHPSの黒木純監督 photo by Oriyama Toshimi 最初のうちは、陸連の強化に携わることで自身が「いろいろ学べる」と思っていたという。そかし、そのうちに指導者としての意識が高まり、「自分のチームからも代表選手を出したい」という思いが強くなった。

 選手たちにも「駅伝だけじゃダメ」という危機感があり、年間を通した練習もマラソンを意識したものを取り入れている。主に学生が行なうようなハードルトレーニングや体幹の補強、股関節の可動域を広げるトレーニングも、「週に2回、30歳を過ぎた選手にもやらせていますよ」と黒木は言う。

 そんな黒木の”試み”はレース直前の準備にまで及ぶ。

「練習は、前任の児玉泰介さんがやっていた旭化成のスタイルを基本にしたものですが、レースの1週間くらい前に16kmを本番に近い形で走るのが、うちの選手にはきついとも感じていました。『力がある選手の結果が出せないのは、少し疲れているからかな』と思い、2014年の東京マラソンに松村が出るときに『レース直前にゆったりした調整を入れたらどうなるか』をやってみたんです。

 そうしたら8分台が出て、アジア大会でも銀メダルを獲得した。それからは30kmをゆったりと走らせて、血液の循環をよくして体をリラックスさせ、最後に3km~5kmの調整走をやらせる形にしたんです」

 さまざまな試みで選手の能力を伸ばしてきた黒木。しかし、山梨学院大で1年時から箱根駅伝に出場するなど、チームの主力として活躍した井上に関しては例外だった。宗茂・猛兄弟に「井上には早めにマラソンをやらせたほうがいい」と言われていたこともあったが、2015年の入部当初から”東京五輪で日の丸を背負える逸材”と見ていた。

 入社1年目にして、ニューイヤー駅伝のエース区間である4区に抜擢された井上は区間3位の快走を見せる。その直後に黒木はマラソン挑戦を打診し、駅伝からわずか2カ月後に井上の初マラソンとなる、びわ湖毎日マラソンを迎えた。ほぼ即席の練習で出場させたのには、リオデジャネイロ五輪の代表選考レースとなっていた大会で緊張感を経験させ、自分の力を吐き出してどこまで我慢できるかを見る狙いがあった。