ポルシェとプリウス。高橋尚子が
神野大地に教えたマラソンの極意とは (3ページ目)
所属するコニカミノルタの朝の集団走では、中盤ぐらいに位置して、ラクに終われるように意識して走っている。新しい取り組みの効果は、まだ明確に得られてはいないが、神野は手応えを感じているという。
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1月1日、快晴の中、群馬県庁から選手がスタートし、ニューイヤー駅伝が始まった。
神野はデビュー戦となった昨年、エース区間の4区を走った。緊張感もあり、腹痛で苦しみ、結果的に区間7位に終わった。
今回は数日前、アンカーに指名された。自分では6区かなと予想しており、磯松大輔監督から7区を言い渡された時は「まさか」と思ったという。だが、チームにケガ人が多数出ていたなか、選択の余地がなかったようだ。
コニカミノルタはレースの出だしから躓(つまず)いた。1区が24位と出遅れ、早々に優勝戦線から脱落してしまった。
それでも6区の山本浩之が区間2位の走りで頑張り、神野に9位で襷(たすき)をつないだ。10位の愛三工業とは1秒差だったが、神野はピッチを上げて走り、前を行く6位のMHPS、7位のDeNA、8位の安川電機を追った。
「1分以内なら(8位)入賞圏内と思っていたんですが、山本さんが予想以上に上げてきて、前とは24秒差だった。これはいくしかないでしょと思いましたね。まだ15.5kmもあるし、風が強いんで、そんなに前は上がらないだろうと思い、最初からいきました。
5.8km過ぎで追いついたんですけど、ここからがしんどかったですね。風が強過ぎて、跳ね返されてペースが上がらなかった。そこからは先行するよりも自分もタメて走り、ラストでの勝負に備えていました」
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