【月報・青学陸上部】「青トレ」考案者が掲げる箱根3連覇の次の目標 (4ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text & photo by Sato Shun


 もうひとつ寂しかったのは、"このチームには私の存在はもう必要ないのかな"って思ったことです。1、2年目は中野頼りでやっていたんですが、昨年はリオ五輪があったので、夏前から夏合宿にかけて、ほとんど青学に関わることができなかったんです。私がいないので佐藤(基之)フィジカルトレーナーをはじめ、選手たちで考えて行動しないといけなかったので結構、頭を悩ませていたんですよ。

 でも、リオ五輪から帰ってきたら、みんなすごく成長していた。箱根前は町田寮に行ってケアするんですが、トレーナーと選手がすごくコミュニケーションが取れていて、『自分がいない方がいいじゃん』と思って、廊下に出て待っていたりしました(笑)。それがうれしかったんですが、同時にちょっと寂しさを感じてしまいましたね」

――この3年間で印象残る選手はいましたか。

「みんな、それぞれ印象深いですよ。でも、あえて言えば下田と(池田)生成ですかね。下田は出雲、全日本と結果が出ない中でも、私たちを信じてトレーニングを続けてくれた。それが箱根につながりました。

 生成はストイックで意識が高かった。夏合宿の時、数名の選手のレベルが高くなっていたので、補強トレーニングのレベルを上げないといけなくなったんです。最後のミーティングの時に『トレーニングメニューをプラスするので、名前を呼んだ選手は私の部屋に来てください』って伝えたんです。すると、名前を挙げなかった生成が『なんで、僕は呼ばれなかったんですか。僕はダメなんですか』と来たんです。他にも名前を呼んでいない選手がいたのに生成だけが来た。なんで他の選手は言ってこないんだって思いましたけど、生成のそういう姿勢がすごくうれしかったです」

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