【月報・青学陸上部】不振の「秋山隊長」が快走。往路優勝を呼び込んだ (2ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text by Sato Shun  photo by Kyodo News

 
 原監督の脳裏には、この2区の一色で首位に立ち、3区、4区でタイムを稼ぎ、5区の貞永隆佑につなげるという展開を描いていた。しかし、一色が出雲駅伝や全日本で見せたエースらしい激走を見せられず、神奈川大学に39秒差をつけられた。

 その後、3区の秋山雄飛、4区の森田歩希がそれぞれ持ち味を出して快走するだけに、誤算らしい誤算は2区の一色のところだけだった。

 だが、駅伝のいいところは誰かの凡走を誰かがスーパーな走りでカバーできることである。そして、その一色の走りをカバーして余りある快走を見せたのが3区の秋山だった。大きなストライドで快調に走りつづけ、13km付近で首位に立った。

「一色が33秒遅れて、あれって思いましたが、フィジカルコンディションがよかったですし、自分の走りができれば必ずとらえられると思っていました」
 
 大会1か月前はドン底にいた。10000mの学連記録会ではトータルのタイムだけではなく、1000mごとのラップも遅かった。このままの状態では箱根を走れない。しかし、1カ月程度では筋肉や心肺機能の強化など、いろいろなことには取り組めない。そこで秋山が決断したのがフォームの改造だった。

「このタイミングで変えられるのはフォームだけ。あるランニングしている人のブログを見て、その理論的なフォームに納得できたんです」

 12月上旬の富津合宿で試して、まずまずの結果が出た。その後、一度メンタル的に落ちてしまった。フィジカル的に問題はまったくなかったのだが、ひざやハムストリングの張りなどを訴えた。だが、佐藤基之フィジカルトレーナーが、その嘘を見抜き、ポジティブな言葉を何度もつぶやいた。

「箱根で走らず、自分の4年間を否定するのか」

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