【箱根駅伝】亜大優勝時の名将が、拓殖大でもサプライズを狙う

  • 酒井政人●文・撮影 text&photo by Sakai Masato

 数々のドラマを生み出してきた箱根駅伝。そのなかでも第82回大会(2006年)は波乱の大会として多くのファンに記憶されている。5区・今井正人(現・トヨタ自動車九州)で大量リードを奪った順天堂大は、7区終了時で後続に3分近い大差をつけていた。しかし、8区・難波祐樹が脱水症状による急ブレーキ。その間に駒澤大・堺晃一(現・富士通)がトップを奪った。

拓殖大の監督に就任して6年目となる岡田正裕監督拓殖大の監督に就任して6年目となる岡田正裕監督 これで駒澤大の5連覇かと思われたが、9区で失速する。そのとき後続から急接近してきたのが亜細亜大だった。1分12秒遅れでスタートした山下拓郎(現・拓殖大コーチ)が大逆転を演じて、雑草軍団が見事"ジャイアントキリング"を成し遂げたのだ。

 当時の亜細亜大は高校時代の実績がない選手がほとんどで、1万m上位10人の平均タイムは出場校中の9位(29分28秒61)だった。当年度は出雲が8位、全日本は7位。箱根で優勝すると誰が予想できただろうか。それでも選手たちは「前半は焦らずに入って、15㎞からペースアップする」という岡田正裕監督の指示を徹底した"堅実駅伝"でサプライズを巻き起こした。

 亜細亜大に歓喜をもたらした名将は、女子実業団チームの監督を経て、2010年春に拓殖大の監督に就任する。そして、低迷していたチームを1年で立て直すと、初年度の箱根駅伝で最高順位タイの7位に導いた。拓殖大に移って今年で6年目。すでに古希を迎えた岡田監督だが、箱根への情熱は少しも衰えていない。2016年の正月決戦に向けて、「戦力的には私が来てから最高だと思いますよ。一番がんばるところでがんばれる選手が育ってきましたから」と笑顔で話してくれた。

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