国枝慎吾が国民栄誉賞を受けた本当の意味「車いす利用者がもっともっと受け入れられるように...」 (5ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • 中島正和●撮影 photo by Nakashima Masakazu

 逆に今は、TTCだけ見れば車いすテニス選手の人数は減っていると思います。でも、それは全国でできる場所が増えたからで、そういう見方をすれば、同じ現象でもポジティブにとらえられる。パブリックコートで車いすが使えることも大事ですが、民間のテニスクラブで車いすのレッスンが受けられる動きも、広まりつつあると思います」

── 関係者にうかがった時、そのような動きが広まった最大の理由は「国枝さんの存在」だと皆さん口を揃えます。ご自身がこのような変革の起点になったという自負はあるでしょうか?

「そのように言ってくださる方が多いというのは、うれしいですね。自分がこうやって活動したり、国民栄誉賞を受賞したことで、いわゆる一般のテニスと車いすテニスの垣根がまた低くなったのであれば、本当に受けた意味があると思います。

 パブリックのテニスコートであっても、車いす利用者がもっともっと受け入れられるようになってほしい。そういった施設が増え、トイレなどのバリアフリーの問題も改善していこうみたいな流れになると、賞の意味があるなと思います」

── 最後にうかがいます。引退会見時で「今後は未定」とおっしゃっていましたが、今は何か見えてきたでしょうか?

「テニスを離れてから、バスケットボールや水泳など、いろんなスポーツを始めたんです。改めて『自分はスポーツが好きなんだな』って感じました。テニスでしか満たされない欲もあるかもしれないけれど、自分のやりたいことの欲には、素直に従いたいなって思っています。

 そのなかで、もう少し英語力をつけていくと、視野もできるフィールドもより広がるなということは、少し見えてきています。なので今は、いろいろと充電中。いつか出力する時のために、力を蓄え、自分のレベルを上げているところです」

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 奇しくもというべきか、あるいは必然か。国枝さんが9度の優勝に輝き、今回イベントのために訪れた飯塚市開催のジャパンオープンは、日本で最も古い歴史を誇る車いすの国際大会だ。

 産声を上げたのは、国枝さんの誕生翌年の1985年。その第2回大会を訪れて感銘を受けた吉田宗弘・和子夫妻が、吉田記念テニス研修センターに車いすプログラムを盛り込んだ。

 先人たちの意志を受け継いだ国枝さんは、その20年のキャリアで、日本のみならず世界の車いすテニスシーンをも変えてみせた。

(了)


【profile】
国枝慎吾(くにえだ・しんご)
1984年2月21日生まれ、千葉県柏市出身。9歳の時に脊髄腫瘍による下半身麻痺のため、車いすの生活となる。2007年に史上初の車いすテニス男子シングルスの年間グランドスラムを達成するなど、ずば抜けた「チェアワーク」を武器に世界の頂点に君臨。グランドスラム優勝50回(シングルス28回、ダブルス22回)は男子世界歴代最多。パラリンピックではアテネ〜東京の5大会で金メダル4個(シングルス3、ダブルス1)獲得。

プロフィール

  • 内田 暁

    内田 暁 (うちだ・あかつき)

    編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。

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