国枝慎吾が国民栄誉賞を受けた本当の意味「車いす利用者がもっともっと受け入れられるように...」 (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • 中島正和●撮影 photo by Nakashima Masakazu

 それは10年間くらい、ずっと訴え続けてきたことですし、さらに昨年は有明コロシアムのセンターコートで決勝戦ができた。本当に一歩一歩進みながら、障壁をクリアしてきたのかなと思います。自分自身もその過程のなかで、車いすテニス選手に興味を持ってくれる方がどんどん増えてきたことも実感できました。

 そのきっかけとして一番大きかったのは、やはり東京パラリンピックかなと思います。テレビ中継を通じて多くの方々に見てもらえたことで、自分のなかでの満足度も生まれました。あそこで『車いすテニスがスポーツとして認められた』と感じたので、昨年1年間は純粋にテニスそのものに向き合えたんですね。

 そこから10月の楽天オープンで、多くのお客さんの前で試合ができたことで、パラリンピックで得た感触を確認できた。今までやってきたことの答えが、ちゃんとあそこで出たかなっていう思いがありました」

── そうやって国枝さんが用意した、車いすテニスがスポーツとして認められる舞台で、もっと長くプレーしたいという思いはなかったのでしょうか?

「それも正直、思いました。せっかくね、ちょっと注目されるようになってお客さんも増えてきたなかで、自分自身が辞める決断を下すのは、やっぱり引っかかる点のひとつではありました。でもなかなか、そこから先のエネルギーが沸いてこなかったですね。

 たとえば、昨年ウインブルドンで優勝していなかったら、もしかしたらあと1年やっていたかもしれないです。あのウインブルドンを取ったことで、どうしても熱以上に満足感が心を占めてしまった。アスリートとしての達成感と、車いすテニスをスポーツとして認めさせたいという理念の両方が、あそこで噛み合い、達成された。

 そういう意味では、いろいろな巡り合わせもあったじゃないですか。2020年(コロナ禍により1年延期されて2021年開催)の東京パラリンピック開催が決まり、現役ギリギリで参加して金メダルが取れた。同時に、もしそれが5年早かったら、車いすテニスが認められたなかで、もう5年間やれたのかなと思う自分もいますよ。

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