多くの人を惹きつける全盲のランナー唐澤剣也。「数百人いるチーム」で銀メダルをつかんだ (3ページ目)

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 吉村もと●撮影 photo by Yoshimura Moto

 コロナ禍で大会が1年延期されたときは、「成長できる期間が増えて、メダルの確率が高まった。できる練習をやり切って、悔いなく来年を迎えたい」と、前向きにとらえた。

 そして、この1年の延期中に唐澤を取り巻く環境に大きな変化があった。唐澤の進化に応じて、より走力の高い伴走者が必要となり、地元群馬を拠点とする実業団のSUBARU陸上競技部に支援を依頼。同部のコーチを務める小林光二さんが協力してくれることになった。今年4月から、週1回は同部の練習会に加わるなど、高いレベルのなかに身を置くことになり、競技者としての意識も高まっていった。

 レース伴走の体制は、持ち味の異なる小林光二ガイドと茂木洋晃ガイドが担うようになった。マラソンも含めレース経験が豊富でペース作りも得意な小林ガイドが前半を担い、後半からよりスプリント力のある茂木ガイドに交代する形で、「4000mまでは集団の中で力をため、残り1000mからギアを切り替える」というレースプランを練り上げた。

 今年5月の国内大会ではこの伴走者リレーが奏功し、今年5月の国内大会ではこの伴走者リレーが奏功し、国内の大会で、T11クラス男子のケニア人選手が持つ世界記録を越えるタイム(15分09秒94)をマークしている。東京パラリンピックの舞台でも、「もう一度同じレースをすれば勝てる」というプランで攻め切った。

「小林さんがいい位置の3、4番手をずっと維持してくれて、走りやすいところで走れた」と振り返り、茂木ガイドに交代してからは、「茂木くんが、『行ける、行ける』と声かけをしてくれて、強気な気持ちで攻められた」と、唐澤は2人に感謝した。

「たくさんの方の応援のおかげで、この舞台に立てました。心から感謝しています」

 5000m決勝から4日後の1500m決勝では果敢にチャレンジしたが、4位に終わった。「最後にメダルを取獲って、茂木くんと表彰式にあがりたかったなという気持ちでいっぱいです」と悔しそうな表情を見せた。

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