ベスト歩数は「19」から「17」へ。弱視ジャンパー澤田優蘭が今季好調

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 植原義晴●写真 photo by Uehara Yoshiharu

ジャパンパラで成績を残し、存在感を放っていた澤田優蘭ジャパンパラで成績を残し、存在感を放っていた澤田優蘭 7月7日~8日に正田醤油スタジアム群馬で開かれた「2018ジャパンパラ陸上競技大会」。視覚障がいT12クラスの澤田優蘭(うらん/マッシュスポーツラボ)が、女子100mで自身が持つ日本記録に0.08秒差に迫る13秒18で優勝。走り幅跳びでは5m01を跳び、2種目で存在感を放った。

 視覚障がいの区分は、障がいの種類や程度によって3クラスに分けられる。「T12」はその真ん中に位置する弱視クラスのひとつで、競技を行なうにあたり、介助者をつけることができるのが特徴だ。今大会、澤田には自身のトレーナーでもある塩川竜平さんがガイドランナーとして100mで伴走し、走り幅跳びでも助走方向を知らせる声掛けなどを行なった。

 澤田は6歳のころから網膜色素変性症の影響で視野狭窄(きょうさく)がある。左右はぼんやりと見えるが、正面はほぼ見えない。練習は1人で行なうことができるものの、100mではトラックの実線が判別しにくく、外側のレーンに入ってしまうこともある。走り幅跳びは肝心な踏切板が見えにくいと言う。

 17歳で初めて出場したパラリンピックの北京大会(2008年)には、弱視クラスのなかでも最も障がいが軽い「T13」でエントリーしていたが、その後視力が低下し、見えづらさが増した。さらに、パラリンピックでは「T13」の走り幅跳びが実施されないことも向かい風となり、「競技者としてどうしたいのか、アスリートとしてどこに目標を持っていけばいいのか、悩むようになった」と言う澤田は、陸上への情熱を胸にしまったまま、最前線から離れる選択をした。

 心境の変化は2014年に訪れた。仁川アジアパラ競技大会で躍動する同世代の選手や同じ視覚障がいの佐藤智美(東邦銀行)らの姿に刺激を受けた。この時、社会人2年目で仕事にも慣れてきたころ。「またやりたい」と、心が動いた。

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