2016.09.12

日本人でただひとり。
リオパラを支えるゴールボールのレフェリー

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • 吉村もと/MAスポーツ●写真 photo by Yoshimura Moto/MA SPORTS

 2002年に男子日本代表のコーチに就任。同年のフェスピック釜山大会(現在のアジアパラ競技大会)ではヘッドコーチとしてチームを率いて銅メダルを獲得した。その後、カナダで開かれた国際大会に参加した際、ルール解釈が日本と違うことに驚き、アジアは世界から遅れをとっていることに気がついたという。そこで疑問に感じたことを調べていく流れで、国際審判の資格を取得。09年に東京で行なわれたアジアユースパラ競技大会には審判として参加した。

 審判に必須の英語力は、「コーチ時代は挨拶程度」。仕事の合間に独学でものにした。そして、10年にIBSA(国際視覚障害者スポーツ協会)が認定する最上級の資格である「レベル3」を取得。12年のロンドンパラリンピックではテーブルオフィシャルとしてスコア記入などを任された。

 審判員は厳しい条件を乗り越えて、高いレベルを維持している。たとえば、新居さんの「レベル3」は年間2つ以上の国際大会においてトータル10試合で笛を吹かなければならず、加えて、4年に一度はルール変更があるため、レベル再認定の試験を受ける必要がある。筆記と実技試験は難易度が高く、レベルを落としてしまう人も多いといい、現在、レベル3の審判は世界に30人を切るほどしかいない。