出会う人々に導かれた京谷和幸の「車椅子バスケ人生」とは (3ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 代表の中での立ち位置というのは今までと違いましたか?

京谷 過去3大会とは全く違いましたね。それまでずっと主力で出ていて、それこそアテネ、北京なんかは、ほとんどフルで出ていたのが、ロンドンはプレイタイムがないか、3分とか5分とか、そんなような状況だったので。僕も人間ですから不満とか出てくるわけです。車椅子バスケットって持ち点()で組み合わせが決まりますから、(ロンドンパラ前の)アメリカ遠征で、30秒ぐらいでベンチに下げられた時に、もう我慢の限界が来て、ベンチでタオルぶん投げちゃったんです。そうしたら、みんなシーンとなっちゃって。その後、藤本怜央(宮城MAX)に「京谷さん辞めないよね」って言われて、チームメイトに心配かけるなんて、俺はなんて事をしてしまったたんだと思いました。その遠征から帰ってきて、たまたまテレビのチャンネルを回していたらジェフ千葉の試合がやっていたんです。千葉が2-0で勝ってる中、ロスタイムで当時千葉の選手だった(藤田)俊哉が出てきたんです。ロスタイムですよ。たぶんボール触れないんですよ。
※障がいの重さで持ち点が決まり、重い人ほど持ち点が少なくなる。出場する5人の点数を合わせて14点以内になるように調整する。

伊藤 ベテラン選手をなかなかそういう使い方しないですよね。

京谷 でも、俊哉は短い時間なのに必死でチームを鼓舞しているんです。で、試合が終わったら、サポーターのところに誰よりも先に行って、サポーターにあいさつしている。その姿を見て、「俊哉かっこいいな」と思って。「俺、何やってたんだろう」って、そこで改めて気づかされました。それで、その次の代表合宿があった時に、スタッフのところに行って「すいませんでした」って頭下げて謝ったんです。スタッフの方にも、「お前がああいうことすると、影響力がありすぎるから」って言われました。

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