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【平成の名力士列伝:常幸龍】最速の昇進街道を突き進んだ「記録男」 ケガとの戦いに挑み続けた不屈の魂と相撲愛 (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【限界まで貫き続けた相撲道 引退後は相撲の魅力を世界に発信】

 右を差しての寄り、左からの強烈な上手投げを武器に、将来の大器にはさらなる期待がかかったが、幕内デビュー場所は「勝ちたい気持ちが強すぎて腰が引けた」と2日目から5連敗もあり、6勝9敗で入門以来初の負け越しで十両へ逆戻り。1場所で幕内に復帰するも場所前の稽古で左足首外側側副靭帯を断裂する重傷に見舞われ、痛み止めを打って強行出場を果たして9勝を挙げるも、場所後半は腰痛にも苦しめられた。

"記録男"は以後、ケガとの闘いに明け暮れることになり、番付は"頭打ち"状態。平成26(2014)年7月場所は前頭7枚目で10勝をマークし、番付運に恵まれて翌9月場所は一気に新小結に昇進するが、1場所で三役の座を明け渡し、その後も"低空飛行"が続いた。

 平成27(2015)年1月場所5日目は日大時代の後輩、遠藤に押し倒され、右膝前十字靭帯を損傷する重傷を負い休場も考えたが、「そんなことで凹んでいるんじゃない」と夫人に発破を掛けられると、7日目の横綱・日馬富士戦は痛み止めを打って土俵に上がった。横綱に攻め込まれたが土俵際、左足一本でこらえながら突き落とし。生涯唯一の金星を挙げた。

 奇しくもこの日が長男の1歳の誕生日。「いいプレゼントになった。内容はどうであれ、勝ってよかった」と生観戦していた夫人と子どもとともに家族で喜びを分かち合ったが、ケガは悪化の一途をたどっていく。

 平成28(2016)年3月場所からは十両で2場所連続の大敗。幕下への陥落が避けられなくなると「相撲が嫌いにならないためにも決断しました」と右膝の手術に踏みきった。2場所連続全休から土俵に復帰した同年11月場所は三段目で7戦全勝優勝を遂げ、13場所のブランクを経て平成30(2018)年9月場所、十両へ返り咲き。元三役が三段目から関取に復帰した初めてのケースとなった。

 しかし、関取の座もわずか3場所で陥落。その後も左足小指と左手の骨折、腰のヘルニアの悪化などで再び幕下に低迷。満身創痍ながらもできる限り稽古場に立ち続けたのは、後輩たちにその背中を見せ、無言のメッセージを送るためでもあった。

 令和2(2020)年11月場所、2度目の関取復帰を果たすも在位4場所で、三たび幕下へ。

「これ以上、相撲を続けると人工関節になると言われたので、今後のことも考えて」

 令和4(2022)年9月場所限りで引退。家族を養うためにもこれ以上、現役を続けるわけにはいかなかった。どんな苦境に立たされようが、大好きな相撲とは真摯に向き合い続けた。

 現在は土俵付きレストランの相撲ショーにも出演し、主に外国人観光客に相撲の魅力を発信している。将来的にはアマチュア相撲の指導者になる夢を持ち、息子が通う都内の相撲道場でも胸を出す。幼い頃から力士を引退してもなお変わらぬ相撲への愛情は、今や世界中の人々や未来ある子どもたちに向けられている。

【Profile】
常幸龍貴之(じょうこうりゅう・たかゆき)/昭和63(1988)年8月7日生まれ、東京都北区出身/本名:佐久間貴之/所属:北の湖部屋→木瀬部屋/しこ名履歴:佐久間山→常幸龍/初土俵:平成23(2011)年5月技量審査場所/引退場所:令和4(2022)年9月場所/最高位:小結

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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