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【平成の名力士列伝:旭道山】小さな体で大柄な力士に真っ向勝負を挑んだ「南海のハブ」の記憶と魅力 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【160キロ重い小錦、新横綱・曙から勝利】

 平成4(1992)年7月場所は、160キロも重い大関・小錦を掬い投げで鮮やかに倒して初の殊勲賞を獲得。翌9月場所は小結に昇進した。平成5(1993)年3月場所6日目、新横綱・曙に押し込まれた土俵際、しぶとく右下手投げ。軍配を受けながら物言いの末に取り直しとなったが、再び右下手投げにいって今度は文句なく勝利し、生涯唯一となる金星を獲得した。

 同じ場所の13日目には、巨漢の久島海に対し、立ち合い、強烈な右張り手をお見舞い。脳震盪を起こした久島海はたちまち崩れ落ち、左ヒザを痛めて翌日から休場を余儀なくされた。この場所は9勝6敗で2回目の殊勲賞に輝き、翌5月場所は小結に返り咲いたが、久島海戦の張り手は相手が負傷したことから物議をかもし、旭道山は以後、張り手を封印することになった。確かに、土俵の外に出るか、足の裏以外が土俵につくかで勝負がつく相撲には、相手が脳震盪を起こすほどの激しさはなじまないのかもしれない。しかし、力や技を尽くして相手をねじ伏せる格闘技としての魅力が、相撲にとって欠かせないものであることも確かだ。

 体格のハンデなどものともせず、大きな相手にぶつかっていく旭道山の姿は、そんな魅力をだれよりも存分に味わわせてくれた。

 土俵との別れは突然だった。前頭9枚目で6勝9敗に終わった平成8(1996)年9月場所後、10月20日の衆議院議員選挙への出馬を表明。比例代表近畿ブロックで新進党から立候補して当選し、角界を去ることとなった。

 出身の徳之島は「政争の町」と呼ばれるほど選挙が過熱することで知られ、旭道山自身、以前から政治に関心があり、誘いを受けて決断したという。結局、1期限りで政界からは引退することとなったが、臆せずに自分の決めた道をまっすぐに進む姿は、土俵上と変わらずそのままだった。

 政界引退後はタレントや実業家として活躍する一方、相撲との関係も切らさず、ABEMA TVの相撲中継では、力士の心に寄り添った解説が評判を呼んでいる。また、ボクシング東洋太平洋スーパーフェザー級王者の波田大和は、実弟の三役格行司・木村寿之介の息子であり、旭道山自身もしばしば試合会場を訪れて、力強い拳を振るう甥の姿を見守っている。

【Profile】旭道山和泰(きょくどうざん・かずやす)/昭和39(1964)年10月14日生まれ、鹿児島県大島郡徳之島町出身/本名:波田和泰/所属:大島部屋/初土俵:昭和55(1980)年5月場所/引退場所:平成8(1996)年11月場所/最高位:小結

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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