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【平成の名力士列伝:安美錦】関取在位史上1位タイ 数多のケガを強さの源にしてきた「稀代の業師」 (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【「ケガと一緒に強くなってやってこられた」】

 平成19(2007)年9月場所は新関脇で初日から8連勝。その後は5連敗と失速したが、10勝をマークすると「若いときより上(大関)を目指せると思えるようになった」と28歳にして確かな手ごたえをつかんだのだった。

 その後は三十路の大台に乗っても"上位キラー"として、三賞と三役の常連であり続けた。しかし、古傷の右ヒザを無意識に庇ううちに反対側の左ヒザも支障をきたすようになり、三役に返り咲いても勝ち越すことも難しくなってきた。

 平成26(2014)年7月場所は小結で3勝12敗と大きく負け越し。前年に前十字靭帯を部分断裂した左ヒザの状態が悪化し、両ヒザは"爆弾"を抱える状態になっていた。「独身だったら、引退していただろうね(笑)」と"引退危機"は入院時の身の回りの世話や病院、リハビリの送迎など、当時新婚だった夫人の献身的なサポートで乗りきると、直後の9月場所は10勝の好成績で実に約4年半ぶりの三賞となる技能賞を獲得した。劇的な復活を遂げたものの、相撲の神様は技能派の大ベテランに、さらなる試練を与えるのだった。

 平成28(2016)年5月場所2日目の栃ノ心戦で左アキレス腱を断裂。力士生命を大きく左右するピンチに襲われたが、心が折れることはなかった。わずか2場所の休場で同年9月場所には十両10枚目で土俵復帰。この場所から7場所を要して平成29(2017)年11月場所、昭和以降では史上最年長となる39歳0カ月で入幕を果たした。

 奇跡のカムバックを支えたのは、やはり家族の存在だった。この場所は千秋楽に千代翔馬を上手出し投げで降し、勝ち越しを決めると3年ぶりの三賞となる敢闘賞を受賞。普段は殊勲の星を挙げてもクールな男が「負けて泣くことはあっても、勝って泣いたことはなかった。この歳になってこんな経験ができるなんて、ありがたい。感謝しかない」と声を詰まらせた。

 何度も苦境から這い上がって来た"不死身の男"も、十両11枚目で迎えた令和元(2019)年7月場所2日目、寄り倒された際に右ヒザを負傷したことで引退を決意。40歳で土俵を降りたが、関取在位114場所は魁皇と並び、史上1位タイである。

 上位戦の土俵上では"ポーカーフェイス"を貫きながら、常に何かをやってくれそうな雰囲気を漂わせ、貴乃花、武蔵丸、朝青龍、白鵬、鶴竜と対戦した横綱すべてから金星を奪い、その数は8個。22年半もの現役生活の大半はケガとの闘いに終始したが、「ケガと一緒に強くなってやってこられた。ここまで相撲と向き合わせてくれたのは、ケガのおかげ。ケガにも感謝しています」と何ごともプラスに捉える芯の強さも、「稀代の業師」の長い相撲人生を支えていたのだった。

【Profile】安美錦竜児(あみにしき・りゅうじ)/昭和53(1978)年10月3日生まれ、青森県西津軽郡深浦町出身/本名:杉野森竜児/しこ名履歴:杉野森→安美錦/所属:伊勢ヶ濱部屋/初土俵:平成9(1997)年1月場所/引退場所:令和元 (2019)年7月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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