【平成の名力士列伝:曙】貴ノ花へのライバル心を礎に相撲道を進み続けた外国出身力士初の横綱 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【雪のような心で向き合った相撲道】

 横綱昇進後しばらくは、3場所連続優勝(平成5年7月、9月、11月場所)を達成するなど強さを発揮した曙だが、貴乃花が屈辱をバネに横綱に並び立ってきた頃から、両ヒザのケガなどに悩まされ、思うように勝てなくなった。「勝って当然」という横綱の地位の重みがのしかかったが、曙は逃げることなく、真摯に横綱と向き合い、もがき続けた。

 心の支えとなったのが、貴乃花の存在だった。かつてのライバルも、曙と同じようにケガなどのため、思うように勝てなくなってきた。そんなふたりの間に、互いに認め、リスペクトし合う気持ちが生まれてきたのだ。

「勝って当たり前の横綱には、なった者にしかわからない重圧があります。それは、自分も貴乃花も同じこと。本場所ですれ違った時、目と目が合うだけで、言葉は交わさなくても、向こうの気持ちが伝わってくる気がしました」

 平成12(2000)年7月場所で約3年ぶり10回目の復活優勝。同年11月場所でも11回目の優勝を果たし、平成13(2001)年1月場所を全休した後、引退を発表した。無理を重ねた体は限界に達していた。「もう優勝争いはできない」と語る表情は清々しかった。

 その後、曙は相撲界を離れ、プロレスの世界へと飛び込んだ。そこでも誠実に自分の仕事と向き合い、多くの人から信頼を得た。

 病に倒れ、令和6(2024)年4月、54歳の若さで亡くなったのは惜しまれる。しかし、雪のように真っ白な気持ちで相撲や横綱と向き合い、土俵に立ち続けた姿は、ファンの心に今も深く刻まれている。

【Profile】曙 太郎(あけぼの・たろう)/昭和44(1969)年5月8日生まれ、アメリカ・ハワイ州オアフ島出身/本名:曙 太郎/しこ名履歴:大海 → 曙 → 曙(つくりに点が付く)/所属:東関部屋/初土俵:昭和63(1988)年3月場所/引退場所:平成13(2001)年1月場所/最高位:横綱(第64代)

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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