為末大に聞く東京オリンピックの意義 レガシー、アスリートファーストとは何だったのか? (3ページ目)

  • 西村 章●取材・構成 text by Nishimura Akira

【変容する社会観と変わらぬ五輪ビジネスモデル】

為末氏は自身の現役時代と現在の価値観に違いを感じているという photo by Murakami Shogo為末氏は自身の現役時代と現在の価値観に違いを感じているという photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る――オリンピックに対する一般的な理解も、自分たちがスポーツをする楽しみとは乖離したイベント、というものであるように思います。

為末:本当によくわかります。要するに、オリンピックの〈上から目線〉に皆がちょっとカチンとき始めているのではないか、というのが私の実感です。選手それぞれは真摯に競技に取り組んでいて、その姿はやっぱり胸を打つんですけれども、オリンピックそのもののシステムやスポンサー構造がいよいよ反感を買いはじめているのでしょうね。

――以前から指摘されてきたオリンピックの商業主義化や植民地経済的な開催手法は、変わりつつあると思いますか?

為末:1984年のロサンゼルス五輪のときに、たとえ商業主義と言われても儲かるモデルを作って世界中に届く大会を作ったのは、いい効果があったと思います。だけど、それは業種を絞って高い値段でスポンサー契約をして、そのほかを排除するビジネスモデルです。独占と排除という方法はインターネット的思想とすごく相性が悪い。この20年で時代は大きく変わっているので、その独占システムはかなり齟齬をきたすようになっていると思います。

 オリンピックの発展はグローバリゼーションと相性がよかったのだろうと思います。世界中にオリンピックのコンテンツが広がると、ブランドを広げたい企業にも利便性がよかった。今はグローバルサウスや権威主義国家など、五輪の発祥地である欧州とは違う価値観の国の存在感が高まっています。権威主義国家に寄れば批判され、同じ価値観に揃えようとすれば価値観を押しつけることになる。このバランスが難しくなっているのは真実なのかな、と思います。

――そのような過度な商業化や知的財産権の独占がもたらす弊害は、現役選手たちにとってどこまでリアルな問題なのでしょうか。

為末:我々の現役時代(約20年前)は本当に幸せで、オリンピックに出たらみんなが喜んでくれたんですけれども、東京オリパラを経て今の選手たちには「自分たちがやっていることって、本当にいいことなんだろうか......」という疑念が少し生まれたと思うんです。我々の時代だと「100パーセントいいことをしている」と信じることができたんですよ、勘違いもかなりの部分あったと思うんですけれども。今の選手たちは、それに少し疑いを持っている気がします。

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