パリオリンピック・パラリンピックが近づくなか「オリンピックとは何か?」を考える (2ページ目)

  • 西村 章●取材・文 text by Nishimura Akira

【「経済効果」という名の幻想】

 それらのなかには日本の組織風土や企業体質などに根ざす問題もあれば、近代オリンピックが自らの内にはらみ続けてきた課題もある。

 前者の例は、ロゴの盗用疑惑や関係者のトラブル等で二転三転した開閉会式の演出案、目下裁判中の大会運営の談合事件等々......、こうやって記していくだけでもうんざりする。

 後者の例は、「ぼったくり男爵(Baron Van Ripper-off)」と名付けられたトーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長のニックネームが象徴する、大会の商業主義化と組織的金満体質を挙げておけば十分だろう。これに関連して、少し長くなるが経済学者ポール・クルーグマンの言葉を引用しておこう。

〈昔から「オリンピックを開催すれば景気が良くなる」とか「大きな経済波及効果が得られる」といったことが信じられてきましたが、実際のところ、開催による経済効果はほとんどありません。むしろ、がっかりするような結果に終わることが多いのです。主催国はオリンピックのために多額の投資をしますが、開催後は使いみちのない施設が残されるだけです。(中略)

 仮にどこかの国の政府が私に「経済成長のためにオリンピックを招致したほうがよいか」と助言を求めてきたら、「やめたほうがよい」と反対するでしょう。多大な資金と労力に見合った経済的なリターンが得られないからです。つまり経済性からみれば、オリンピックの開催は合理的でないのです。

 そもそも多くの人々はスポーツイベントの経済性について、合理的に考えることができません。「巨大なスタジアムを建設し、そこでイベントが開催されれば、人が集まり、すばらしい経済波及効果をもたらすはずだ」と言われれば、「きっとそうかもしれない」と信じ込んでしまいます。ところがそれは幻想です。実際のところ、経済効果はほとんどありません。ただ特定の利害関係者に利益をもたらすだけです。〉

*NIKKEIリスキリング 2021年7月18日「経済学者クルーグマン氏 五輪開催は合理的ではない」対談記事より:https://reskill.nikkei.com/article/DGXMZO73860250U1A710C2000000/?page=3)

 ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマンは辛辣な批評精神の持ち主として知られているが、オリンピックに関してはとくに否定論者というわけではない。その意味で上記に示した引用は、否定論者によるポジショントークという色合いはなく、むしろ、バイアスによらない批評的視点を持った経済学の専門家が、オリンピックの経済効果を評価した際の最大公約数的意見、と考えても差し支えないだろう。

 実際のところ、オリンピック開催地に立候補する都市が減少の一途をたどっているのは周知の事実だ。札幌市が冬季大会の招致を断念したことも、煎じ詰めれば経済効果を見込めないという判断によるものと要約できる。

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