パリオリンピック・パラリンピックが近づくなか「オリンピックとは何か?」を考える (3ページ目)
【不安定な情勢下における「平和の祭典」の意義とは?】
このような経済的理由に加え、ここ数年でさらに不安定さを増している世界情勢も、オリンピックの意義をさらに危ういものにしかねない。
たとえばロシアがウクライナへ無差別攻撃を開始したのは2022年2月24日で、北京オリンピックが終了してパラリンピック開会式までの狭間に行なわれた行為だった(余談になるが、クリミア紛争の発生は2014年なので、「ウクライナ侵攻」という表現を用いるならば今年が10年目になる。また、それ以前に2008年の南オセチア等の紛争等でも領土的野心を明らかにしており、2014年にソチ五輪を、2018年にはサッカーワールドカップを開催して国家イメージの浄化にスポーツを利用しているが、IOCや国際サッカー連盟(FIFA)は自分たちが体よく利用されてしまったことに対する批判的検証を行っていない)。北京オリンピックでも、開催国である中国の人権侵害に対する抗議として数カ国が開会式で外交的ボイコットという手段を採ったことは、あらためて想起されてもいい。
また、昨年末からはイスラエルとハマスの戦いが激化し、ガザで発生する凄惨なニュースは連日のようにさまざまなメディアで報じられている。
そんな世界で開催される「平和の祭典」オリンピックの意義とは、いったい何なのだろう。オリンピック停戦など、もはやただのお題目で有名無実化しているが、その一方で、世界最高のアスリートたちが一堂に会するこの巨大なスポーツ大会が人々の魂を大きく揺さぶるのもまた、疑いようのない事実だ。とくに紛争の当事者であるウクライナやバレスチナの選手団にとって、この「平和の祭典」に参加する意義が非常に大きいことはいうまでもない。
では、刻々と近づいてくる今夏のパリオリンピック・パラリンピックを、我々はいったいどんなふうに受け止めればいいのだろう。喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう、いつものように空疎で無邪気な空騒ぎで終わらせないためにも、これからオリンピックに関わるさまざまな人々を訪ねて問いを投げかけ、言葉を交わすことを通じて「我々にとって、いまの近代オリンピックとはいったい何なのか、この夏に開催されるパリオリンピック・パラリンピックにどう向き合っていけばよいのか」について、これから数回の連載を通じて改めて考える契機にしていきたい。
つづく
著者プロフィール
西村章 (にしむらあきら)
1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)、『スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか』 (集英社新書)などがある。
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