「今しかできない」カーリングで生きていく覚悟を決めた藤澤五月の中部電力入りはこうして決まった【2023年人気記事】 (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro
  • photo by JMPA

 だから、日本選手権をはじめとした一般の試合はどんな感じで、そこで「自分たちの力を試したいな」という気持ちがずっとありました。正確には覚えていないのですが、日本ジュニアで優勝して世界ジュニアに行く日程が日本選手権と重なって出られなかったシーズンや、ジュニアのカテゴリーではライバルに勝っていながら、一般の地区予選で負けて日本選手権に出られなかったシーズンもあったと思います。

 いずれにしても、ちょっと学年が上の杏菜ちゃん(近江谷/フォルティウス)や、元ロコ・ソラーレの(江田)茜ちゃんがいたgraceというお姉さんチームに負けるのは仕方ないけれど、同世代のちなや紗也香ちゃんのチームに負けるのは、特に悔しかったですね。

 結局、私が日本選手権に初めて出たのは高校卒業前、18歳の時でした。中部電力のメンバーになってからのことです。

北見から軽井沢へ。今しかできないカーリングの道を選択

 中部電力のカーリング部に入部するきっかけは、一本の電話でした。

 高校2年生の冬、英語をもっと勉強したかった私が、外国語学部の英語学科のある大学を調べていた頃でした。志望校は東京や大阪、東北などにいくつかあって、「勉強はしたいけれど、その辺りの都市に住むと、これまでどおりにカーリングはできなくなってしまうのかな~」と、少し寂しい気持ちで進路について考えていたタイミングでのことです。

 電話をいただいた相手は、中部電力の人事の担当者で、のちにカーリング部の部長になる方でした。「中部電力はオリンピックを目指してチームを立ち上げました。藤澤さんと一緒に目指していきたいと思っています」と言ってくれました。

 カーリング選手として求められたこと、カーリングを続けることができるのは、率直にうれしかったです。ただ、「うれしいけれど、どうしよう」という気持ちも混ざっていました。

 チームメイトは、美余ちゃん(市川/現解説者)、絵美ちゃん(清水/中部電力マネージャー)、(佐藤)美幸ちゃんという年上の選手ばかりでしたし、その秋にカナダ合宿で一緒に過ごした時に「中部電力カーリング部はあとひとり、地元の(長野の)選手を入れて4人になる予定なんだ」と彼女たちが話していたので、「お姉さん方のチームに入って、北海道から行く年下の私がスキップをやっていいのかな?」という遠慮や戸惑いがありました。

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