野口啓代、引退まで5年間の軌跡。覚悟の決まった選手ほど強いものはない
野口啓代の5年にわたる最終章は、大団円で幕を閉じた。
スポーツクライミング複合女子決勝で、野中生萌が銀メダル、野口啓代が銅メダルを獲得。自国開催の五輪で初めて実施される日に向けて、他国に先駆けて強化に取り組んできた成果でもあった。
最後の力を振り絞って銅メダルを獲得した野口啓代(左)この記事に関連する写真を見る 最終種目の最後の競技者が高度35+でフォールして銅メダルの行方が決まった瞬間、野口と野中、そして金メダルのヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)の3選手は涙を浮かべながら、歓喜の抱擁をかわした。
東京五輪の実施種目に決まってからスポーツクライミングの女子シーンを牽引し、この瞬間のために費やした時間と労力をわかり合う3選手が、互いを称える姿は感動的であった。
東京五輪での実施が決まったのは2016年夏。現在22歳のヤンヤ・ガンブレットは17歳、24歳の野中生萌は19歳と、進化の過程にあった。
一方、今年5月で32歳になった野口啓代は27歳。当時のクライミング界の常識では大きく成長する可能性は高いと言えず、スポーツクライミングの競技者から"引退"しても不思議ではない年齢だった。
実際、野口は引退を考えていた。2017年秋にweb Sportivaでインタビューした際、「2015年かぎりでの引退を一度は決めていた」と明かしている。
2015年は、野口が自身2度目のW杯年間女王2連覇を達成したシーズン。しかし、16歳から国際大会を戦ってきた競技人生で初めてとも言える大きなケガを負ったことで「もう潮時かなと意識した」という。
その野口をもう一度奮い立たせ、競技に向かわせたものこそが、東京五輪だった。
しかし、現役継続を決めたものの、若手の台頭や五輪に向けて急速に変化する課題傾向に対応できずに苦戦。2015年までにW杯ボルダリングで17勝した野口が、2016年、2017年は1勝もできずにシーズンを終えた。
「もうW杯ボルダリングで勝てないのではないかと思って......」
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