出世するたび「特殊」な状況になって嘆いていた魁聖に訪れたサプライズ (2ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 でも、あとでわかったことなんですけど、お祖母ちゃんが話していたのは、名古屋訛りの日本語だったんです。おかげで、日本に来てみたら、全然使えなかった。ブラジルにいた頃、もっと真剣に日本語をやっていたら、違っていたかもしれないですね。

 四股名は、師匠(友綱親方=元関脇・魁輝)や魁皇関の「魁」と、キリスト教徒を意味する「聖」で、魁聖。下の名の「一郎」は、お祖父ちゃんの名前をもらいました。

 こうして、その年の秋場所(9月場所)、初土俵を踏んだ僕は、序ノ口、序二段を1場所で通過して、三段目も7場所でクリア。21歳で幕下に昇進したんだけど、幕下の壁はなかなか厳しかったなぁ......。

 不自由だった日本語のほうも、同じ部屋の魁ノ浜さんに助けてもらいながら、少しずつ覚えていきました。でも2人で、ポルトガル語で喋っているところを親方に見つかって、怒られたこともありました。

「日本語を覚えないとダメだ!」って、親方が口を酸っぱくして言う意味がわかったのは、入門から3年くらい経った頃でしょうか。

 師匠や兄弟子が相撲や生活の面のことで、僕にいろいろと注意するわけですよね。日本語を覚えていないと、その意味がわからない。なんで怒られているのかさえ、わからない。その結果、一方的に責められていると勘違いして、辞めていった外国人力士がたくさんいる。親方は、そうならないように気遣ってくれていたんですね。

 友綱部屋は人数が少なくて、アットホームなところだったし、力士同士の仲がよかった。みんなで僕のことをフォローしてくれたから、「辞めよう」と思ったことはなかったですね。

来日した当時のことについて語る魁聖来日した当時のことについて語る魁聖

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る