奥原希望が劣勢から手に入れた新スタイル。攻守融合の変化で勝利を飾った (3ページ目)
プレーは、守備でとにかく粘って好機を待つのではなく、自ら好機を積極的につくり出すスタイルへ変わっていった。フルスロットルで動きまわるのを止め、ラリーのなかであえてスローダウンする展開をつくって罠を張り、予測した相手の返球に対し、局所的にスピードを上げて攻撃を仕掛け、ポイントを決めに行くようになった。
攻撃を仕掛けることを考えるあまり、攻め急いでミスが出るようになったり、以前なら食らいつけたシャトルに対して粘れない場面が出てきたりと課題も生まれた。だが、意図的にラリーを短縮して得点を奪えるようになると、5連戦となる1つの大会を、あるいは海外で転戦しつづけるシーズンを、ヒザの状態とつき合いながら戦い抜く形が、見えてきた。
そして、18年に、さらなる進化が待っていた。この年、大きなタイトルは取れなかったが、年間成績上位者が集うBWFワールドツアーファイナルズに、覚醒のきっかけがあった。
グループリーグの2戦目、序盤でラチャノック・インタノン(タイ)のスピードとパワーに圧倒された。すると、シャトルが飛びにくいコート環境に苦しむなか、奥原は従来の守備的なスタイルも入れる決断を下した。
「ちょっと戸惑ったけど、15年に優勝した時は、自分から仕掛けることや攻撃は、全然できなかった。そのイメージを思い返して、オールディフェンスで久々に行こうかなと思って高い球を使ったら、相手のスピードが落ちてきたので、守備をしながらスピードを変化させることができた。自分らしい試合を久々にしたなと思いました」(奥原)
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