奥原希望が劣勢から手に入れた新スタイル。攻守融合の変化で勝利を飾った (2ページ目)

  • 平野貴也●文 Hirano Takaya
  • photo by AFLO

 世界のトップ選手と戦うようになったばかりの頃は、守備のイメージが強かった。どれだけ相手に振り回されても、コートに落ちる寸前の羽根に食らいつく姿は、一度見れば間違いなく印象に残る選手だった。17年の世界選手権では、女子シングルスで日本人初となる優勝を飾り、世界の頂点に立った。

 スコットランドのグラスゴーで開催されたこの大会の決勝戦は、壮絶だった。179cmの長身を誇るプサルラ・V.シンドゥ(インド)との戦いは、いずれのゲームも終盤までもつれる接戦。21-19、20-22、22-20の2-1で制した試合に要した時間は、一般的な試合の2倍に相当する1時間50分。高い打点から強打を打ち下ろすシンドゥに、奥原がフットワークで食らいついて上回った。

 しかし、順調に勝利を積み上げる一方で、身体が悲鳴をあげるようにもなっていた。17年9月のヨネックスジャパンオープンは、決勝戦まで勝ち上がったが、右ヒザの負傷で棄権。以降の国際大会も欠場がつづき、同年の全日本総合選手権も初戦の開始直後に棄権した。

 奥原は13年と15年にヒザを痛めて手術している。フットワークが持ち味ではあるが、世界のトップレベルで駆使しつづけると、古傷の状態が悪化するというジレンマのなか、ヒザの負担を軽減するプレースタイルと環境を求めるようになった。

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