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師匠が下した英断。横綱・鶴竜が
日本語をすぐにマスターできたわけ (3ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 そうそう、こんなこともありました。

 今年初場所、34歳で初優勝した玉鷲。彼もモンゴルでの少年時代、相撲の経験はまったくなかったんですよ。でも、お姉さんが東大に留学していた関係で、2003年に彼は東京へ遊びに来たんです。

 その時は、玉鷲自身、力士になるつもりはなかったらしいんですが、当時から体格に恵まれていたので、お姉さんから「お相撲さんになったら?」と言われたそうなんですよ。そうして、両国を姉弟でウロウロしているうちに、ウチの部屋の前にたどり着いたみたいで......。

 それで、「なんか、モンゴル人が来てるよ!」と兄弟子から言われて、私が玄関先に出ていくと、玉鷲がいた。全然知り合いじゃなかったんですけど、彼はいきなり「力士になりたいんです」と言うんですよ。

 きっと私と同じように、大相撲に入門するツテがなくて困っているんだな......とピンときたのですが、当時私はまだ三段目のペーペーですからね。自分ではどうすることもできないので、旭鷲山関に電話して事情を説明したんです。

 そこから話が進んで、最終的に当時、外国人力士がいなかった片男波部屋に入門したんですが、今振り返ってみれば、玉鷲も、私も、不思議な縁で力士になったものだなぁ......と思いますね。

 さて、力士になった私の最大の課題は、体重を増やすことでした。

 新弟子検査は82kgでクリアしましたが、日本にやってきたばかりの時は60kg台しかなかったため、「とにかく食べるように」と師匠から言われていました。

 もともと食べ物の好き嫌いはないほうだったので、白飯も食べられたし、相撲部屋では欠かせない納豆も平気でしたね。刺身のような生ものはモンゴルにはなかったから、最初はちょっと苦手でしたが、魚類にも徐々に慣れていきました。

 その結果、入門1年で95kgまで増えて、2年が経った三段目の頃には105kgくらいになっていました。それでも、同じ地位の力士と比べたら、細いほうです。自分でも食べる努力はしていたのですが、そこからがなかなか増えていかなかった......。

(つづく)

鶴竜力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)
第71代横綱。本名:マンガラジャラブ・アナンダ。1985年8月10日生まれ。モンゴル出身。井筒部屋所属。得意技は右四つ、下手投げ。華麗な技と穏やかな人柄で、年輩の好角家から若い女性ファンまで幅広い人気を誇る。

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