コロンビア国民の悲願達成。22歳ベルナルがツール・ド・フランス制覇 (3ページ目)
さらに、その翌日の第20ステージでもハプニングが起きる。
大雨による土砂崩れの危険性が高くなり、最後の山岳ステージは前半部分を回避することに決定。距離も130kmから59.5kmと大幅に短縮された。初めて首位に立ったベルナルは、アシスト役に回ったトーマスに牽引されて、順位を落とすことなく安全圏でゴールした。
最終第21ステージは慣例として総合優勝争いを行なわないため、この第20ステージの結果により、ベルナルがコロンビア人選手として初の総合優勝を確実とした。前日まで首位だったアラフィリップは、大きく遅れて総合5位に後退。フランス勢の34年ぶりの総合優勝は夢と消えた。
1983年、ツール・ド・フランスが例外的にプロ・アマオープン化した時、コロンビアのアマチュア選手たちが「カフェ・ド・コロンビア」というチームを組んで初出場した。標高2000メートルの高地で生まれ育った彼らは、上りで圧倒的に強かった。1984年にはルッチョ・エレラが初のステージ優勝を挙げ、コロンビアにロードレース人気が訪れた。エレラはその後のツール・ド・フランスでマイヨ・ジョーヌを期待されたが、それは叶わなかった。
その悲願を、ベルナルが遂げたのだ。
「僕は幸せだ。グランツール(※)に初優勝したことが信じられない。これは僕の勝利というだけでなく、コロンビアという国家の勝利だと感じている。すでに(コロンビア人は)ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャで勝っているけど、ツール・ド・フランスの総合優勝がなかった。それを僕が達成したのは、とても名誉なことだ」(ベルナル)
※グランツール=ヨーロッパで行なわれる自転車ロードレースのうち、とくに権威のある「ツール・ド・フランス」「ジロ・デ・イタリア」「ブエルタ・ア・エスパーニャ」、3つのステージレースの総称。
2019年のツール・ド・フランスは記録的な熱波に襲われ、雪崩などの大自然の脅威にさらされた。突然のレース打ち切りや最後の山岳の短縮がなければ、結果はどうなっていたか――。23日間を現地で目撃してきた者としては、それがなくても総合成績は同じ結果になったのではと感じている。
「僕たち家族にとって、これ(総合優勝)は夢だった。テレビでツール・ド・フランスを見ていて、そんなすごい世界には到達できないと思っていた。子どもの頃、『いつか出場できたら最高にカッコいいぞ』と思ったけど、それは遠く彼方に見えた。でも今、僕は、ここにいる」(ベルナル)
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