改革への期待と現実。貴乃花親方「引退」までの8年間を振り返る

  • text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

"元"貴乃花親方が、10月1日に日本相撲協会を退職した。

日本相撲協会に退職の届け出を提出した後、記者会見を開いた貴乃花日本相撲協会に退職の届け出を提出した後、記者会見を開いた貴乃花 おじに元横綱の初代若乃花、父が元大関・貴ノ花という家系のサラブレッドとして角界入りし、1988年春に初土俵。兄の元横綱・三代目若乃花、花田虎上氏とともに空前の「若貴ブーム」を巻き起こし、相撲人気の拡大に大きく貢献した。優勝22回の偉業と、誠実な相撲内容を貫いた姿勢は、「平成の大横綱」と呼ぶに相応しく、大相撲史にその名を刻んだ。

 そんな大横綱の退職は、相撲ファンに大きなショックを与えることになった。「横綱・貴乃花」として巨大な功績を残した一方で、理事就任後の8年間でどこまで改革に動いていたのか振り返ってみたい。

 2010年初場所後の理事選で初当選した貴乃花は、その前年、所属する二所ノ関一門の一門会で出馬する意思を表明。このときの二所一門は、現職の放駒(元大関・魁傑)、二所ノ関(元関脇・金剛)の両理事と、初出馬の鳴戸親方(元横綱・隆の里)の3人の擁立を決めていた。しかし、貴乃花は周囲の親方からの説得を受け入れず、阿武松親方(元関脇・益荒雄)ら自らを支持する親方たちと一門を離脱。結果、一門外からの票を集めることに成功し、初当選を果たした。

「貴の乱」と呼ばれたこの初当選は、理事選のための互助会と化して形骸化していた「一門制」に一石を投じることになった。力士暴行死事件、現役関取による大麻事件など不祥事が続発していた相撲界にあって、改革を期待する声が協会内外から上がった。

 しかし、貴乃花は就任会見で具体的な施策を掲げることはなかった。さらに当時、貴乃花を支持した二代目若乃花の間垣親方は「貴乃花に改革する考えはない。ただ理事になりたかっただけ」と公言していた。

 果たして最初に与えられた職務は、相撲教習所の所長。教習所は、入門した力士が半年間に渡り、相撲の稽古はもちろん、相撲史、習字などの座学まで力士としての心得を学ぶ場所だ。現役時代に偉大な実績を残した貴乃花の"相撲道"を新弟子へ伝えていくことが期待されたが、新たな「改革」を施すことはなかった。

 次に貴乃花が担当した職務は審判部長だった。「野球賭博事件」で元大関・琴光喜、大嶽親方(元関脇・貴闘力)が解雇になり、武蔵川理事長が辞任して新たに放駒親方が協会トップに就任。新理事長は新たな職務分掌で、当時38歳だった貴乃花を審判部長に抜てきした。

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