日本出身力士10年ぶりV。大関・琴奨菊の初優勝を支えた人々 (2ページ目)
あれは大関取りがかかった11年7月場所。場所前にメンタルトレーニングの専門家である東海大の高妻容一教授に教えを請い、呼吸法を学んだ。最後の塩を取りに行く時に両腕を回しながら太ももをたたく。塩は左手。振り向いて、上体を思いっきり反る。この時、深呼吸をはかり、全身に新鮮な酸素を取り入れているのだ。今では館内が大きく沸くこの一連の動作を体系化し、どんな状況におかれても心が揺らぐことはなくなった。そして、翌秋場所に待望の大関昇進をかなえた。
稽古でも自ら考え、工夫を重ねた。大関取りの前から腕立て伏せでは、背中に重りを乗せ負荷をかけた。「少しの違いかもしれませんが、人がやらないことを毎日、重ねていけば、結果として大きな差になると思います」と当時、明かしていた。昨年から、陸上競技のトレーナーに師事し、ハンマー投げの投げ方で重りを回す稽古を導入し体幹の強化に努めた。
自分だけではない。昨年7月に入籍した祐未夫人は、夫の食事をさらに充実させようと「フードマイスター」の資格を取得。体の状態に合わせた食材、料理を考えてテーブルに並べている。かつて休場に追い込まれた両ひざ、大胸筋のケガ。「本当によくこの体で戦えた」と振り返ったが、ケガの悪化を防ごうという内助の功が裏側にはあった。30日には結婚披露宴を控える。支えてくれた妻に最高のプレゼントを届けたい気持ちもあった。今回の優勝は、最愛のパートナーと二人三脚で歩んだ創意工夫の賜物と言える。
天国の恩人たちへ感謝の初優勝でもある。相撲を始めたのは、小学校3年。祖父・一男さんの勧めだった。福岡県柳川市の自宅の庭に土俵を作り、毎日、稽古に没頭した。雨の日もタイヤを引かせるなど、1年365日、一日も休まず稽古した。傍らではいつも祖父が見つめていた。「じいちゃんがいなかったら今の自分はない」。尊敬する祖父は08年9月4日に76歳で亡くなった。
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