【カーリング】屈辱からの再出発。近江谷杏菜の秘めた覚悟

  • 竹田聡一郎●文 text by Takeda Soichiro
  • photo by Tsukida Jun/AFLO SPORT

3月特集 アスリートの春 ~卒業、そして新天地へ~(7)

「こういった舞台に戻ることができて幸せです」

 5年ぶりに日本代表ジャージを着用し、『JA全農 世界女子カーリング選手権札幌大会 2015』(3月14日~22日/北海道)に挑んだ近江谷杏菜(25歳/北海道銀行)は、そう言って笑顔を見せた。

北海道銀行入りし、「世界の舞台」に戻ってきた近江谷杏菜(左)北海道銀行入りし、「世界の舞台」に戻ってきた近江谷杏菜(左) 近江谷は5年前、当時日本のトップに君臨していた、チーム青森に所属していた。20歳の近江谷はチーム最年少ながら、主力メンバーとして奮闘。2010年2月に開催されたバンクーバー五輪にも出場した。その直後には、カナダ・スウィフトカレントで行なわれた世界選手権(2010年3月)にも参加。以降も、近江谷は日本代表として活躍していくと思われた。が、今回の世界選手権まで、近江谷は"世界の舞台"から離れていた。

 5年前の世界選手権のあと、所属するチーム青森の状況が一変したからだった。チームの看板選手である本橋麻里がチーム青森から脱退。新チームを立ち上げた。スキップの目黒萌絵も、結婚・出産のために青森から離れた。

 近江谷は青森市役所に勤務しながらチーム青森に残ったものの、ふたりの主力を失ったチームが常勝軍団であり続けることは困難だった。日本トップの座は、新たに台頭してきた中部電力に奪われた。そして2010年以降、チーム青森が国内の頂点に返り咲くことはなく、2013年、ついにチームは活動休止となった。チームメイトの石崎琴美や山浦麻葉らは、プレイヤーとしての活動にそれぞれ区切りをつけた。

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