元祖・天才少女ジャンパー伊藤有希が再び開花するまで (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AP/AFLO

 だが髙梨沙羅の登場以来、彼女の存在感は若干薄れてしまった。「日本では向かい風が吹くジャンプ台しかないから、向かい風用のジャンプになってしまっていた」と話すように、空中で前傾してしまう癖があり、追い風が多い海外の大会ではなかなか結果を出せなかったからだ。

 下川商業高校を卒業して土屋ホームに入ってからは、その弱点も徐々に克服して、昨シーズンのW杯表彰台やソチ五輪の出場にもつながった。

 しかし結果は7位。髙梨の陰で、さほど注目されることもなく伊藤のソチ五輪は終わった。

「ソチ五輪で一番学んだことは、悔しさでした。会社の方やスタッフなど周りの人たちのお陰で五輪に出させてもらえて感謝の気持ちでいっぱいでしたが、結果で恩返しすることができず、悔しい気持ちでいっぱいになりました。それで強くなるためにはどうしたらいいかを考えて、去年の夏は内容の濃いトレーニングができた。自分はけっこう陸上トレーニングが苦手でパワーもスピードもなかったけど、それを付けていくにはどうしたらいいかを葛西さんやスタッフに相談しながら考えて、追い風の中のジャンプでも空中で浮力を受けられるようになることを意識したトレーニングを増やしてきました」

 その効果は今シーズンのW杯ではなかなか出ず、表彰台にも上がれていなかった。だが世界選手権へ向けて徐々に体調も上がり、自信が持てるようになってきた。そしてファルンへ入ってからは、直前のW杯が行なわれたリュブノのジャンプ台に苦しんだのとは違い、飛びやすいジャンプ台だったこともあり公式練習から試合まで、ジャンプの1本1本を楽しむことができたという。そんな気持ちが大舞台での銀メダル獲得につながったのだ。

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