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【フェンシング】宮脇花綸「チャンスを今後につなげて行きたい」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

 そうは言っても宮脇は、フェンシングのためだけに進学する高校を決めたわけではない。科学や数学が好きな彼女は、大学では理工学部に進もうと、入学当初は勉強も精一杯がんばろうと思っていた。が、高校1年生の冬、日本フェンシング界の第一人者である太田雄貴と話をする機会を得て、宮脇の意識は劇的に変わった。

「太田選手と最初に会ったときは、衝撃的でした。(五輪で)メダルを獲るべくして獲った人だな、と思いました。その際、太田選手に言われたのは、今後のビジョンを紙に書いてみて、ということでした。それで私は、(そのときから)5年後の世界選手権に出るとか、2020年のオリンピックに出たいとか、最低限のことだけを書いたんです。そうしたら、その(目標達成の)ためにはどうしたらいいのか、それまでの細かいプランも書くように言われて......。3時間を越えてそんなやり取りをしているうちに、私と太田選手との(フェンシングに対する)考え方の違いや、突き詰め方の違いを感じました。目標設定を高く持つことの必要性も痛感させられました。あの日は、私の意識が一変した一日でしたね」

 太田との出会いによって、宮脇の意識は完全にフェンシングへと傾いていった。その結果、フェンシングの道はどんどん開けていったという。

 加えて、運も味方した。というのは、彼女が頭角を現したのは、2008年北京五輪後にフェンシングの強化体制が整った頃だったからだ。しかも、女子については、2012年ロンドン五輪後は日本の上位の選手たちがこぞって引退。結果を出せば、すぐにナショナルチームに選んでもらえる状況になっていた。その点は、宮脇もよく自覚している。

「『2020年東京五輪世代』ということもあって、私たちの世代は環境が非常に整っていて、すごく恵まれていますよね。そういう意味では、大きなチャンスがゴロゴロと転がっているので、それをひとつずつ拾っていって、今後につなげていきたいと思います」

 現在、コーチから言われているのは、「国内外を問わず、どのような大会でもいいから優勝して、勝ち方を覚えること」だという。宮脇自身、この1年間で試合の組み立てに関しては向上してきたという自負がある。残る課題は"ここぞ"というときの攻撃力と、得意技の開発になるだろう。

「今は勝つために、どうしても複雑に作戦などを考えてしまう部分がある。最終的には、もっとフェンシングをシンプルにすることが必要だと思います。アジア大会の決勝を見ていても、トップ選手の戦いはすごくシンプルだったという印象が強いです。それを(自分も)突き詰めていかなければいけないと思っています」

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