名門レスリング一家の最終兵器・山本アーセン、リオ五輪への誓い (3ページ目)
1996年9月8日生まれ、神奈川県出身。2013年世界カデット選手権優勝などの実績を持ち、2016年リオデジャネイロ五輪日本代表を目指す これまでも挫折知らずだったわけではない。一昨年にはハンガリー選手権以外、主要な大会では優勝できないというスランプに陥った。俺は何をやっているのかなと諦めにも似た気持ちになった。
「思い切ってレスリングを辞めて勉強した方がいいのかな?と考えた時もありましたよ」
精神的に追い込まれたアーセンを救ったのは、亡き祖母・憲子さんだった。ある日、夢の中に憲子さんが現れ、美憂やアーセンたちが練習に集中できるようにサポートしてくれたのだ。夢から覚めたアーセンは自分がレスリングをやる動機を思い出した。
「そうだ、俺はオリンピックで優勝するためにやっているんだ」
ポジティブ思考は母親譲りだという。
「母親としてもアスリートとしても尊敬している。お母さんは新しい技が欲しくなったら、とことん追求する。その姿勢を見習ってきたので。去年の冬なんか、『アーセンのタックルを教えて』と頼んできましたからね。俺のタックルが世界王者に認められたんだと思って、メチャクチャうれしかったです」
もうすぐハンガリーの高校は卒業だが、その後もアーセンは現地でレスリングを続けるつもりでいる。
「あっちの練習場所はクラブチームなんだけど、ハンガリーのトップ選手が集まっているところなんです。オリンピック選手もいて、エリート合宿のようなすごくいい環境」
リオデジャネイロまであと2年、オリンピックの具体的なイメージはまだ沸かない。
「僕のまわりには夏季も冬季も含めてオリンピック経験者がたくさんいるけど、みんな『想像できないほど大きいよ』と口を揃える。これからイメージしていくつもりです」
ミュンヘンで祖父の郁榮は疑惑の判定に泣き、7位に終わった。
「アーセン、これを見ろ」
小学校低学年の時、実家で祖父からアルバムを渡されたことをアーセンは鮮明に覚えている。中にはミュンヘンの記事や写真がスクラップされていた。当時の状況を説明しながら、郁榮の頬に一筋の涙が流れ落ちた。子供心にアーセンは祖父の心中を慮(おもんぱか)った。
「おじいちゃんの涙を見たのはもう一回あって、僕がハンガリーに留学する時、成田空港まで見送りにきてくれたんですよ。おじいちゃんが泣いたら、僕ももらい泣きしてしまいました。おじいちゃんは強がりだけど、けっこう寂しがり屋だから」
ミュンヘン以降、山本家はオリンピックに出場していない。一族の期待を背にしながら、アーセンは今まで通り楽しみながらレスリングに打ち込んでリオデジャネイロ行きの切符をもぎとるつもりだ。
「17歳になっても心は子供のままだけど、おじいちゃんやお母さんたちが叶えられなかった夢を叶えます。俺がみんなをオリンピックに連れていってやりますよ!」
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