【スピードスケート】小平奈緒「スケート靴と親友になれなくて......」 (2ページ目)

  • 取材・文●折山淑美 text by Oriyama Toshimi
  • photo by YUTAKA/AFLOSPORT

 こう話す結城コーチは「練習が中断されるから」と渋る小平を説得して、夏前にアメリカのスケート靴職人の元を訪れ、新しい靴の制作を依頼した。

「スケート靴は普通頼んでから完成まで1年はかかるから、12~13年のシーズンはバンクーバー五輪の靴を使っていました。ところが、1月の世界スプリントで小平が第2カーブの出口で転倒してしまって。あとでビデオを見るとスピードに靴がもたなかったとわかったんです。それで『新しい靴でいくしかない』と、私も小平も腹を決めました」

 靴職人が異例の早さで仕上げてくれたおかげで、2月には手元に届き、シーズン最後のW杯や世界距離別選手権で試せたことは大きかった。


スケート靴に求めた変化は間違いではなかった


 そして結城コーチが次に試みたのが、男子並みに硬いブレードを使うことだった。ブレードは硬ければ硬いほど力の反発を前進させる力に変えられるが、ある程度しなりがないと操作しづらくなる。

 そんな理由もあり、使用に踏み切れずにいたが、筋力アップに伴い、13年の春からは本人も納得して硬いブレードに踏み切った。

「世界的にハイスピード化しているので限界をもうひとつ先に置きたかったんです。でも硬い刃はまだ使いこなせていない部分があるので、友だちにはなれても、親友にはなっていない感じですね」

 小平はブレードについて五輪前、そう話していたが、12月の代表選考会で1500mの代表を逃したのも、それを使いこなす自信がなかったからだろう。後半の体力に不安があり、思いきりいけなかったのだ。

 また500mでも、最初の100mの滑りで力を使い過ぎているように見えた。それは、ブレードの反発を制御できなかったという理由もあるはずだが、ソチの記録会では、5歩目から滑らせるスケーティングができるようになり、それが100m通過タイム自己最高の10秒42につながったのだ。メダルへの準備はギリギリ間に合ったものの、2月11日の本番レースでは、1回目から硬い滑りになってしまった。

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