【アイススレッジホッケー】ソチパラリンピックへまずは第一関門突破! (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu
  • photo by Yoshimura Moto

 前述のように日本代表は昨年、AプールからBプールへ降格。さらにその後、チームの主力選手が代表を離脱して戦力が大幅にダウンした。もともと競技人口が国内で50人弱と少なく、少数精鋭でチーム作りをしてきたこともあって競争の原理が生まれにくく、チーム構成や戦略の見直しを迫られた。一時は目標を見失った選手もいたという。新チームのキャプテンを任されることになった須藤悟(北海道ベアーズ)も、「あの時は、本当にバラバラでしたね」と振り返る。

 だが、前回パラリンピックの銀メダルチームがここで終わるわけにはいかない。少なくとも1年でAプールに復帰し、ソチパラリンピック出場権を絶対に獲る。そのためには、まずはBプールの世界選手権で勝つ――。その強い思いが、少しずつチームをひとつにしていった。バンクーバーでは控えだった選手やバンクーバー後に代表に加わった新人選手らが、スレッジホッケーに一心に打ち込む須藤らベテランの背中を追いかけ成長していったことも、結束力を高めた。

 とはいえ、日本が長年課題にしている得点力不足はいっこうに解消できない。そこで、中北監督は思い切ったチーム構成に着手した。これまで日本の守備の要だった須藤を、ディフェンスからフォワードにコンバートしたのだ。実は、須藤はディフェンスでありながら得点力は日本のなかでもトップクラス。その攻守そろった須藤のポテンシャルに加え、須藤と組む第1セットの仲間、そして厳しいチェックで重圧をかけ、相手を消耗させるという役割も期待される第2セットの仲間との連係に懸けたのだ。

 なんと、この新しい布陣をはじめて試したのは今大会の直前、今年2月のイタリア遠征でのことだ。イタリア、チェコ、ロシアというAプールのチームと対戦し、日本は全敗という結果に終わったが、「感触は悪くなかった」と中北監督。帰国後は早速、強化合宿でブラッシュアップし、ぎりぎり本番に間に合わせた。

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