小説『アイスリンクの導き』第16話 「師弟」 (3ページ目)
「結局さ、お前は翔平と同じなんだよ」
凌太はそう続けた。
「まだそんなこと言っているんですか? 真逆っすよ。マジ、わかんねぇ」
「アプローチは逆だ。でも辿り着こうとしている場所は一緒だ。あのリンクの上で最高の演技がしたいだけ。胸が熱くなるような」
「勝たなければ意味がないっす」
富美也は受け入れなかった。
「富美也にとっては、勝つことがそこに辿り着く手段なんだろう。でも、勝つことができなかった後でも、演技に戻ろうとしていたじゃないか。めちゃくちゃ、格好よかったぞ。俺には絶対にできなかった。あれができるのが、富美也の強さなんだよ。お前は弱くない」
「俺は......」
富美也は何か言い返そうとしたが、言葉にならなかった。
「俺たちスケーターは、単純な因果に収まることはない。勝ち負けだけに意味を見出すことは、スケートへの冒涜だ。リンクで滑る限り、俺たちは何かを託されている。正解なんて、俺にもわからない。でも、立ち止まったらいけない、足を止めるなってことだろう。お前はそれを行動で示していた。そう言っている俺には、できなかったことだけどな」
日本中に伝えられた姿を笑う人もいるだろう。栄光から転落した人間を嘲る声は、どんな時代でも消えない。何もできない大衆は、そうやって安心したいのだ。
しかし富美也の闘志は、その百倍以上も多くの人を励ますだろう。転んでも立ち上がろうとする。その姿は高潔だからだ。
「惨めじゃなかったっすか? 氷の上を転げまわって」
富美也は小さな声で言って、嗚咽をこらえながら床に崩れ落ちた。
「何度も言ってるだろ? 俺が本当のことしか言えない奴って、お前は知ってるはずだろ」
「はい」
凌太はその返事を訊くと、しゃがみこんで富美也の細い体を抱きしめた。
「よくやったな、お疲れさま」
そう囁くと、富美也が体を震わせていた。嗚咽を洩らし、涙腺が決壊したようだった。その涙を誰にも見せないように、鳴き声を誰にも聞かせないように全身で強く抱きしめた。王者の風格を、誰にも貶めさせたりはしない。
悔しさと怒りで抑えていた涙が溢れ出ていた。その情念が、富美也をまた強くするだろう。戦い抜いた体温を凌太は肌で感じた。
「本当にすごい奴だな、富美也は。女だったら惚れちまう」
凌太はいつもの軽い調子で、耳元で囁いた。
「女性ファンは、ありあまるほどたくさんいるんで」
どうやら富美也も、いつもの調子を取り戻していた。
凌太は、翔平の出番だということを思い出した。四郎コーチがついているとはいえ、コーチ失格である。しかし翔平だったら、むしろ自分の行動を賛美するだろう。
〈それがあいつのフィギュアスケーターとしての器のデカさ〉
凌太は勝手にそう思った。
バックヤードからリンクを覗くと、スタートポジションに入った翔平の姿が見えた。
「氷の導きがあらんことを」
凌太は富美也を抱きながら、心の中で翔平のために祈った。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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