羽生結弦が「もう滑りたくないと思っていたプログラム」をスターズ・オン・アイスで選んだ理由 裏舞台では他の出演者を気遣う姿も (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

●今もフィギュア界をリードする存在

 そんな羽生の前には、世界選手権金メダリストたちの競演があった。宇野は2019〜2021年の2シーズンでSPに採用した『Great Spirit』を演じた。

「最初はエキシビション用ナンバーとして滑って、そのあとは試合で使ったプログラム。初めは、自分がやったことのないジャンプですごく難しいかなと思いました。僕は古いプログラムをやることはほとんどないけど、自信を持ってみなさんの前で演技できていると思える滑りができたので、そういう点で深い意味のあるプログラムです」

 エキシビションプログラム『I Lived』を滑った三浦と木原は、「一生懸命練習をしてきたなかで今シーズンのすべての試合が終わり、すべてをやりきったなと解放されて楽しんでいる姿をみなさんにお届けしたいと思う」と話した。

 そして昨季までのフリー『マトリックス』を滑った坂本は、「やっぱり私と言ったらこのプログラム、というのが『マトリックス』だと思う。シニアに上がってから一番大変だった時期を乗り越えたプログラムなので、たくさんのお客さんに見てもらいたいなと思いました」と語った。

 公演終了後の囲み会見で、宇野はこうも話した。

「今回は久々に(羽生)ユヅくんと一緒に滑らせてもらいました。ずっと目標にしていた存在と近くにいられるので、自分がこういうスケーターになりたいというのを......今日1日見ていてもそういうところばかりだった。このショーの期間を通して今後、自分がどうしていきたいかを考えたいと思います」

 写真撮影でも、羽生が現役世界王者を尊重して自分が端のほうへ行こうとすると、全員がそれを拒んで真ん中に立たせた。

 また羽生は、会見時も全員に声をかけてタオルを用意し、濡れているエッジを拭かせる気遣いを見せていた。

 競技を離れたとはいえ羽生はやはり、まだまだ若い選手たちをリードする貴重な存在だ。

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プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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