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三浦璃来と木原龍一、GPファイナル優勝も不安で涙になったわけ。北京五輪でのある会話がふたりの絆を深めた (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Getty Images

世界選手権、そして次の五輪へ

 ふたりでの初出場だった北京五輪では、三浦の表情が硬くなったり、練習でもふたりのタイミングが合わなかったりした。そして、SPは団体戦での演技より3.06点も低い得点で8位だった。

 その時に木原は「ショートは無意識にノーミスを狙いすぎていて、心から楽しめていなかった」と感じ、フリー当日の公式練習のあとで「もうノーミスを狙わなくていいんだよね。全ミスでもいいんだ。もう、全ミスを狙おう」と三浦に話した。それでふたりの気持ちはラクになったという。

 そして、木原にとって五輪のペア個人戦のフリーは北京大会が初めてだった。木原がフリー直前に「今回、順位は出なくていいんだ。なぜなら僕は、この舞台でフリーを初めて滑るんだから」と三浦に言った。すると三浦がすごく笑い、最後まで笑顔のままで滑れたという。その経験が今のふたりにつながっている。

 北京五輪後にふたりは、「これから先の五輪でメダルを目指したいという気持ちになってきた」と話していた。

「やっぱり金メダルを獲ったスイ・ウェンジンとハン・ツォン(中国)のような雰囲気を僕たちも出せるようになりたいし、僕たちにしかない、今までとは違う何かを表現したいなと思います。まだ自分たちは引き出しが少ないから、これからどんどん増やしていって、最終的には一番大事な4年後や8年後に一番合うものが見つかればいいなと思います」(木原)

 来年3月の世界選手権の優勝候補にもおどり出た三浦と木原。今季のタイトル獲得は、その先の4年後、8年後へ向かう足元をより強固にした。

【著者プロフィール】
折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて16回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。

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