羽生結弦がケガをして考えたこと。表現へのこだわりと向き合い方 (2ページ目)
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クリケット・クラブで練習する羽生 休憩を挟んで再開した練習では曲を途中からかけ、ミスをしたジャンプを中心に跳んでいた。その後、コーチのひとりであるトレーシー・ウィルソンから細かいつなぎや振り付けのアドバイスを受けながら、一つひとつ確認するように、曲を細かく分割して練習を繰り返した。
羽生は16年の世界選手権後の約2カ月間、左足甲のケガによって静養していた。その後、リハビリを経て氷上練習を始めたが、ケガが完治したわけではなかった。ジャンプは左足への負担が少ないループやルッツから練習を再開。4回転トーループを1日1回跳ぶ許可が出たのは、この公式練習の2、3週間前だったという。羽生はこう振り返った。
「ここまで長く休んだことは今までありませんでしたが、無意味なものではなかったと思います。スケートとの両立がおろそかになってしまう時期もあった勉強に集中できたし、これからどういう気持ちで滑っていくべきかなど、いろいろ考える時間も過ごせました」
前季、歴代世界最高得点を記録してから報道が加熱し、羽生自身、「何か取り残されているような感じになった」と話す。そうした重圧の中で、滑ることができない時間はスケートが恋しくなると同時に、一方で「解き放たれたような気持ちにもなった」という。
「やっぱり最高得点を出してからは、300点超えを背負い込んでいましたね。世界選手権でも狙っていましたから。ただ、そういったプレッシャーを自ら作り出して、自分を本当に、本当に追い込んでいけたからこその練習だったり、努力だったりはあると思う。もちろん、(プレッシャーは)試合時の競技力低下にもつながるかもしれない。でも、言ってみればそれが自分の原動力だと思います」
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