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中谷潤人が元世界ヘビー級王者と訪れたモハメド・アリのライバル「ジョー・フレージャー」像を前に「僕も、そんなレベルのチャンピオンになりたい」 (3ページ目)

  • 林壮一●取材・文・撮影 text & photo by Soichi Hayashi Sr.

 フレージャーのブロンズ像は全身で朝日を浴び、黒光りしていた。身長182センチの彼は、金メダルを手にフィラデルフィアに凱旋したつもりだったが、「ヘビー級としては小さ過ぎる」と、スポンサードを名乗り出る人がおらず、ローカルファイトで白星を重ねる。幼い頃と同様、現状を打破したいという憤りが厳しいトレーニングに向かわせた。

「銅像になるほどのチャンピオンですから、歴史に名を刻んだわけですよね。アリと3度闘って1勝2敗......。いろんな人に感動を与えたからこそ、功績が讃えられているんですね。僕も、そんなレベルのチャンピオンになりたいです」

1971年3月、アリ(右)からダウンを奪って勝利したフレージャー photo by AP/アフロ1971年3月、アリ(右)からダウンを奪って勝利したフレージャー photo by AP/アフロこの記事に関連する写真を見る

 中谷の傍に立っていたティムも話した。

「若い頃、彼のジムをしょっちゅう使わせてもらった。おおらかな人だったよ。お世話になったな。ヘッドスリップを繰り返しながら、とにかく前へ、前へと進み、相手の懐に入って強烈な左フックをぶち込むボクシングだった。

 あのスリップはマネしたし、パンチをもらわない闘いをするのに実に役立った。アリのライバルとして、ボクシング界に君臨した人さ。第1戦での勝利は劇的だったよな。最終ラウンドにダウンを奪ったのも左フックさ」

 ティムは微笑みながら、こうつけ足した。

「でも、フレージャーが生まれたのはサウスキャロライナ州。俺は生まれも育ちもフィラデルフィアだ。ティム・ウィザスプーンの銅像ができたっていいんじゃないか?」

 ティムは豪快に笑うと中谷を促し、フレージャーの銅像前での記念撮影を依頼した。

【「僕も銅像が作られるくらいの存在に」】

『スポーツ・イラストレイティッド』が取り上げたように、"虚構のホワイトヘビー"であるロッキー・バルボアに比べ、真のチャンプ、フレージャー像はそれほど知られていない。ハリウッドでボクシングを題材にした映画が作られる際、黒人が主人公になることは少ない。『ロッキー』だけではなく、『チャンプ』(1979年)、『レイジング・ブル』(1980年)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)、『シンデレラマン』(2005年)、『ザ・ファイター』(2010年)なども、白人がメインキャラクターとして描かれている。実在の人物をモチーフとした作品であっても、なかなかマイノリティーにスポットライトは当たらない。

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