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佐竹雅昭が振り返るK-1へとつながる異種格闘技戦 ニールセン戦を前に「前歯を4本抜いてください」 (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【前歯4本を抜いたのは「自分が生きた証」】

 中山との特訓で急速にグローブに対応していった佐竹は、ボクシングジムでの練習で当時の日本ランカーを倒すほどの力をつけた。一方で、減量との戦いも強いられた。

「契約体重は91キロだったんですが、当時の僕はナチュラルウエイトが100キロだったので、約10キロの減量をしなければいけなかった。食事は制限せずに、ひたすら稽古を重ねて体重を落としました。毎日、必死でしたね。あそこまでトレーニングに没頭したのは、後にも先にもあの時が一番です。あまりに激しい毎日で、あの頃の記憶が抜けているくらいです」

 さらに必勝を期して、大胆な行動に出る。

「マウスピースを着けたこともなかったので、着けると呼吸が苦しくなるんです。スパーリングで前歯が欠けた時に、道場の近所にある歯医者さんに行って『前歯4本を抜いてください』と頼みました。『マウスピースをはめるより、入れ歯にすれば呼吸もラクになるからいいだろう』と。

 前歯4本を抜くことで、十字架を背負うじゃないですけど、覚悟を固めようという思いもありました。そのことは自分が生きた証ですし、今も前歯は入れ歯のままです」

 試合直前に契約体重が89キロに変更になるハンデも背負ったが、人生をかけた佐竹にとって大したことではなかった。そして、決戦当日を迎えた。

「日本武道館に入る時には、かなり昂っていました。『どうやって戦うべきか』と思いを巡らせていた時、セコンドを務めていただいた中山師範が僕の心の中を読んだように、ひと言ささやいたんです。『佐竹くん、あんなもん"パチキ"入れてやればいいんだよ』と。その言葉に『押忍!』とうなずきました。中山師範は、僕の闘志を高めようとして言ってくれたんだと思いますが、それで『これはケンカだ』と覚悟が固まりました」

 中山がささやいた「パチキ」とは、頭突きを意味する。佐竹の人生をかけた一戦がいよいよ始まった。

(連載6:K-1の原点、ニールセン戦の1ラウンドKO 頭突きには批判も「果たし合いに反則も何もない」>>)

【プロフィール】

佐竹雅昭(さたけ・まさあき)

1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。

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