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佐竹雅昭が振り返るK-1へとつながる異種格闘技戦 ニールセン戦を前に「前歯を4本抜いてください」 (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

【グローブを着用した試合への対応】

 佐竹の「プロ」への葛藤が、ニールセンとの試合実現の原点だった。さまざまな関係者が奔走して迎えた1990年6月30日、日本武道館で開催された全日本キックボクシング連盟の「INSPIRING WARS HEAT 630」。佐竹はニールセンを相手に、初めてキックボクシングルールで戦うことになった。

 空手家がグローブを着け、顔面へのパンチ攻撃アリのキックボクシングルールで試合を行なうのは、1969年に極真会館の第1回全日本選手権を制した山崎照朝(てるとも)たちが"走り"と言っていいだろう。その山崎はライト級だったが、ヘビー級クラスの空手家が異種格闘技戦に挑戦するのは、佐竹が先駆けだ。

 ヘビー級の猛者が立ち技最強をかけた戦い。佐竹のニールセンへの挑戦が、「K-1」の源流になったのだ。

 正道会館は1989年の全日本選手権からリングを使用。さらに延長戦では、グローブを着用して顔面へのパンチを認めるルールを採用していた。ただ、佐竹はグローブに対応する練習をほぼやっていなかったという。

「グローブを着けた練習はほとんどやっていなかったので、冷静に考えると、どうやっても僕がニールセンに勝てるわけはないんです。ただ、当時の自分は『なんとかなるだろう』と思っていました。とにかくニールセンに勝たなければ、僕には明日がなかった。負けたらプロ格闘家になる夢を諦めて、就職の道を考えなければいけない。

 だから、試合が決まってからはボクシングジムで練習して、顔面を殴られて頭がグラグラになったこともありました。ただ、グローブがどうとか、顔面攻撃が怖いだとか言っていられなかったんです。自分の未来と、人生のすべてをかけた戦いでしたから」

 グローブへの対応を指導してくれたのは、正道会館への入門時から憧れ、尊敬していた中山猛夫師範だった。

「中山師範は、グローブを着用した戦いが天才的にうまかったんです。めちゃくちゃパンチが重くて、スパーリングで倒されたこともありました。当時の中山師範は、恐らく後のK-1ファイターより強かったと思いますよ」

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