棚橋弘至は選手と社長の「二刀流」 また新日本プロレスを救えるのか?「V字回復させる自信がある」
棚橋弘至インタビュー 前編
新日本プロレスの社長として、そして現役選手として激動の1年を駆け抜けた棚橋弘至。これまでどおり試合に出場しながら、「試合のない日は出社」というハードな日々にも、「疲れない」と笑顔を見せる。社長目線で見た新日本プロレスの今、そして「若手選手のスター育成」と「SNS時代に求められる自己プロデュース力」について、棚橋"社長"に聞いた。
新日本プロレスの選手、社長としても活動する棚橋弘至 photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る
【社長就任後はハードスケジュールも「疲れない」】
――社長と選手の二刀流で過ごした2024年はどんな1年でしたか?
「選手だけの時も休み少なく頑張ってきたつもりでしたが、社長になってからは試合のない月~金は出社することになったので、練習時間の確保が非常に難しかったです。シンプルに、忙しい1年でしたね」
――休みがなかなか取れなかったのでは?
「365日のうち休みが7日になりそうです。労働基準法違反だと思ったんですが、取締役はその法の対象外でした(笑)。なので僕は、ある意味使われ放題な立場です。ただ、疲れないから大丈夫なんですよ」
――"生まれてから疲れたことがない男"の異名どおりですね。出社する日は、具体的にはどんな1日を過ごしていますか?
「出社は午前10時~午後6時までです。朝礼があって、そこで前日の仕事や試合について、日常での気づきなどをみんなに話します。朝礼のプレッシャーは試合よりも大きいですね(笑)」
――どんな話をするんですか?
「新日本プロレスの目的や意識を伝えるようにしています。社員のモチベーションが上がるような話をしたくて、前日から準備しておきますが、思いつかない時は朝起きて会社に行く途中でひねり出すこともあります。ダジャレも試しましたが、全然ウケなかったですね。スターダムの社員にはウケましたが、新日本の社員には厳しい目で見られてしまって(笑)」
――スターダムの社員さんは気を遣ってくれたんですかね(笑)。今は棚橋「選手」と「社長」、どちらで呼ばれることが多いですか?
「当然、会社では社長って呼ばれますけど、棚橋"さん"が一番多いかな」
――社長をやってみたい、という思いはかねてからあったのでしょうか?
「2023年の11月、ブシロードの木谷(高明)オーナーと食事をしている時、『社長をやってほしい』と打診をいただきました。でも、僕はまだ選手としての野心があったし、IWGP世界ヘビー級王座には一回挑戦して失敗しているので、『ベルトを巻くまでは選手で......』と思っていたんです。でも、いったん持ち帰って考えようと思ったんですけど、食事会が終わった2時間後には『やります!』と快諾しました」
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