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髙木三四郎が振り返る棚橋弘至との共闘、男色ディーノとの最後の試合 今後のDDTでの展望も明かした (5ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

――休養を決断したのは、新幹線プロレスでやりきった、という思いもあったのでしょうか。

髙木:正直、ありますね。きっかけにはなりました。

――新幹線プロレスで「引退します」とおっしゃった時、すぐに撤回されましたが、本心なのかなと思ったんですよね。

髙木:すごい達成感があったのは事実です。あとは、さっきも言った渋谷のスクランブル交差点か、ディズニーランドくらいかな......。でも、許可は下りないでしょう。だから新幹線プロレスは奇跡なんです。

――最後に、DDTの今後についてお聞かせください。

髙木:若い選手がやりたいこと、広めていきたいことを僕はサポートしつつも、興行団体として作り上げていきたいですね。

――もっとDDTを世間に届けたい?

髙木:DDTというよりは、「プロレスを」ですね。プロレスのメディア露出度は、1980年代などに比べると確実に下がっている。もちろんメディアの変遷もあるので、なんでもかんでも地上波というわけにはいかないんですけど。アメリカでは、WWEがコンテンツとして何千億という値段で放映権料が払われるという事実もあります。その点は日本だけちょっと遅れていますから、大きなコンテンツにしたいなと思っていますよ。プロレスというジャンルをね。

【プロフィール】
■髙木三四郎(たかぎ・さんしろう)

1970年1月13日、大阪府豊中市生まれ。1997年にDDTプロレスリングの旗揚げに参加。2006年1月、DDTの社長に就任。2017年にサイバーエージェントグループに参画。2020年9月、サイバーファイトの代表取締役社長に就任。2024年6月1日、同社副社長に就任。「大社長」の愛称で現役レスラーとしても活躍してきたが、2024年7月21日の両国国技館大会を最後に無期限休養に入った。175cm、105kg。X(旧Twitter)@t346fire

【写真】新幹線プロレス、無期限休養ロードFINALも。DDT高木三四郎 フォトギャラリー

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