ケンコバが振り返る越中詩郎の「禁断の試合」 ザ・コブラのための大会で目撃したある異変
ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(14)
越中詩郎「禁断の試合」 前編
(連載13:越中詩郎45周年記念大会での場外乱闘の真相 直前に全日本の社長からの謎のひと言>>)
子どもの頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽す連載。第14回は前回に続き、『アメトーーク!』などでその魅力を語り尽した越中詩郎。今回はケンコバさんが思う「禁断の試合」について語る。
1986年2月6日、両国国技館で行なわれた越中詩郎vsザ・コブラ photo by 山内猛この記事に関連する写真を見る
【"外様"なプロレス人生】
――前回は越中さんのデビュー45周年記念大会についてお話を伺いました。今回は「禁断の試合」について語っていただけるとのことですが、「禁断」とはどういう意味なんでしょうか?
「まず言っておきたいのは、俺のなかでの越中さんの"ベストバウト"は、1試合ではないですけど、高田延彦さんとの一連の抗争です。これはおそらく、多くのプロレスファンも同じ意見だと思います」
――1986年から翌87年にかけて、新日本マットで繰り広げられたUWF・高田延彦さんとの一騎打ちですね。当時、「ジュニアの名勝負数え歌」と絶賛され、今も昭和プロレスファンが語り継ぐ名勝負です。
「俺も高田さんとの試合は、最高の試合として今も脳裏に刻み込まれています。ただ、今回語りたいのは禁断の試合。そのハードルを飛び越えたところが、俺が越中さんを好きになった原点でもあるんです」
――具体的に教えていただけますか?
「まず、越中さんの45年のプロレス人生を振り返ると、越中さんはどこにいても"外様"で生きてきた方なんです。厳密に言えば、全日本プロレスのデビュー4年目でルー・テーズ杯を制覇した以降は、外様も外様、"オール外様"なんです」
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